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『体育教師を志す若者たちへ』後記編14 奈良教育大附属小問題に関連して

 昨年度末、奈良教育大学附属小学校で学習指導要領通りの教育が行われていないという理由で、何名もの教員が「処分」、「出向」させられるという問題が起こりました。この件に関して、私たち教職員は学習指導要領通りに忠実に授業を進めなければならないのかという点について考えてみたいと思います。報道によれば、問題とされた事項のひとつに「毛筆」の指導があったとのこと。附属小では準備や片付けがしやすい筆ペンを使用していたとのことです。こんなことまで問題にされて、「不適切」とか「処分」となるのであれば、自由な発想で教育研究を進めていくことはできないでしょう。 
 そもそも大学の附属小中学校は教育実践研究校であり、子どもたちのよりよい発達を目指して研究的に授業実践を進めていくために存在している学校です。私の教員時代の現場感覚では附属校の実践が学習指導要領通りでなくてもそれは当たり前で、学習指導要領の先を行く研究校であり、次の学習指導要領作成に向けて研究を進めている学校だという認識がありました。もちろん学習指導要領を無視してよいわけではなく、学習指導要領を参考にしながらも、それに細かく縛られているようでは研究になりません。学習指導要領はほぼ10年毎に変わってきています。学習指導要領は完全ではないから変わってきているのです。その完全ではないものに研究校も従い、学習指導要領が変わる度に研究校の教育課程も変えていかなければならないのでしょうか。正常な感覚としては逆です。附属学校には先進的な研究をしてもらい、文科省がそれに学んで次の学習指導要領に生かしていくというスタンスでいくべきでしょう。保護者たちもそのことは十分理解してわが子を附属学校へ進学させているはずです。
 もうひとつ今回の問題の特徴は、この問題の発生の経緯にあります。きっかけは昨年度当初の人事で奈良県下市町の教育長だった方が附属小の校長に着任し、彼が着任早々問題を焚きつけ、それを奈良県の教育長が問題にして文科省へ報告したとのこと。国立大学附属小の教育課程に対して県教委が査察することはできません。だから文科省を通して大学側へ圧力をかけ、大学側が処分の手を下すことになっていったのです。文科省の圧力で大学が動かざるを得なかった状況が今問題にされています。
 今年の3月には「奈良教育大附属小を守る会」が発足して今回の処分の不当性を訴えていますが、附属小の教育実践はけっして「不適切」などというものではなく、子どもたちや保護者たちの願いに寄り添った素晴らしい教育実践をしてきたようです。今回のような不当な介入をさせないためにはどうしたらよいのでしょうか。私たち多くの教職員は市町村立の学校に勤務しており、都道府県教育委員会の管轄下にあります。私も現役時代に体育主任をしていた時、教育委員会から私の勤務校の保健体育科の教育課程が学習指導要領に即していないとクレームをつけられたことがあります。私がそれに対してどう対処したのか、今回は当時の私の記録を紹介して考えてみたいと思います。

 県教委へ保健体育科の年間指導計画の提出
 長野県教育委員会では毎年5月に県下各小中学校の体育主任を招集して「学校体育・スポーツ研究協議会」を開催しています。2015年、この協議会の招集文書に次の文言が載りました。「学習指導要領に示された内容等が適正に計画されているか確認しますので、各校の体育・保健体育の『年間指導計画』を1部持参してください」。当日受付で私は本校の簡単な年間指導計画(教育課程)を提出しました。6月に入り、本校を管轄する教育事務所から1枚のFAXが届きました。FAXの内容は、学習指導要領では中学3年生で球技と武道を選択するようになっているのに本校の3年生の年間計画には武道が入っていない。学習指導要領に沿って訂正した年間計画を再提出するようにとのことでした。
 私は長く体育主任をしてきましたが、年間指導計画について教育委員会からこうした指摘がされるのは初めてでした。私はこれは新たな教育統制の動きだと敏感に感じ取り、本校の年間指導計画は訂正せず、反論の文書を担当教育事務所の指導主事に送りました。その文面を以下に掲載しますが、長くなるので先にその後の結論を述べておきたいと思います。   

 夏になっても私の反論に対する回答は来ませんでした。お咎めがないのは良かったのですが、丁寧に反論したのにお咎めもないしその説明もないのは不誠実だと思っていました。夏になりました。たまたま私が陸上部の中体連の北信越大会に生徒を引率した際に、県の代表選手たちを激励に来た県教委の主事たち数人と顔を合わせる機会がありました。夏休みに入った8月の初旬です。面識があったので向こうから私の方へ挨拶に来ました。そして向こうから「先生、いろいろと申し訳ありませんでした」と謝り始めたのです。彼らは何のことかは言いません。ただ申し訳なかったと謝っているだけです。後で考えると「何のことですか?」と聞けばよかったと後悔したのですが、私はあのことだなとピンときたのでそのまま受け流して深入りせずに話を済ませました。  
 ここからは私の推論ですが、彼らは私の反論を読んで間違ったことをした、迷惑をかけたと反省しているのだと思います。彼らだって学習指導要領の点検活動などしたくないでしょう。かつては同じ仲間の教職員であり、将来を嘱望されて県教委の指導主事に抜擢されて今の職にいますが、その次は再び現場に戻って教頭や校長になっていく身です。彼らには次のステップがあるのです。とすれば口頭で謝罪しても詳細を文書に残すことはできない。そして奈良教育大附属小のように処分を下す権力も持っていない。現場上がりの指導主事は管理職への通過点に過ぎないのです。そこでは上から言われた任務(今回は各校の年間指導計画の点検)をこなすしかないのでしょう。私の反論に対する返答として、迷惑をかけてしまったと曖昧な形でも伝えたかったのだと思いました。そして私にとっては勇気のいることでしたが、反論しておかなければどんどん教育がだめになっていくという危機感がありました。当時は安倍内閣で、教育基本法が改悪されて教育の国家統制がどんどん進められつつある時期でした。現場から反論の動きを作っていかなければ奈良教育大附属小のようなことが全国で進められていく危険性があったのです。

 以下、私が2015年の6月に県教委の主事へ送った反論の全文です。やや長いですが、関心がある方は読んでみて下さい。学習指導要領に書かれているように、各学校の教育課程は各学校の責任でつくるものです。今現場にいる先生方はそのことを大事に考えてほしいと思います。 


 本校保健体育の年間指導計画に対するご指摘について

                  2015,6,18 〇〇中学校 小山吉明
 本校で第3学年で武道を実施していない点について、そちらから学習指導要領の文面を添えて、3学年で武道を行わなければならないとのご指摘のFAXを受け取りました。それについてお答えします。
 まず第一に、学習指導要領の文面をよく読んでいただきたいと思います。下線の「それぞれ選択して履修」は、「『B器械運動』,『C 陸上競技』,『D水泳』及び『Gダンス』についてはこれらの中から一以上」 のことと 「『E球技』及び『F武道』についてはこれらの中から一以上」 について「それぞれ」と言っているのであって、B,C,D,Gの4領域の中から1つ以上、そしてE,Fの2領域の中から1つ以上を「それぞれ」選択すればよいのです。武道領域の中にあるア、イ、ウのうち一つは必ずという意味ではありません。従って、最低限それぞれ1以上ですから、例えば、ある学校では器械運動と球技をやっていればそれもよいことになります。
 次にもしかしたら「選択」を個人選択として選択できるように3学年でEもFも示すべきという考えからそう指摘されているのかもしれないとも思いました。しかし、そうであるとすれば、B,C,D,G,E,Fの全てが3年生の年間計画にあげられていなければならないことになるので、これは当てはまらないと思います。
 選択を「個人選択」ととるのか「学校選択」でもいいのかという問題については以前から論議されてきていることです。学校選択にせざるをえない学校の事情があれば、それも認められてきました。学習指導要領の考え方はそうではないと言われるかもしれません。しかし、学習指導要領は公的文書です。その文章から受け取れる内容をやっているのであれば、それは学習指導要領の作成者の意図とは違っているからだめだなどとは言えないはずです。前の学習指導要領では個人に教科まで選択させる主旨で教科選択(選択教科)というものがありましたが、それをせずに学校ぐるみで「学校選択」として行っていた学校が多数ありました。しかし、それを指導要領違反だと問題にされることはありませんでした。

<中学校学習指導要領 保健体育 より>
〔内容の取扱い〕〔体育分野 第1学年及び第2学年〕〔体育分野 第3学年〕〔保健分野〕
(1) 内容の各領域については,次のとおり取り扱うものとする。 ア 第1学年及び第2学年においては,「A体つくり運動」から「H体育理論」までについては,すべての生徒に履修させること。その際,「A体つくり運動」及び「H体育理論」については,2学年にわたって履修させること。
イ 第3学年においては,「A体つくり運動」及び「H体育理論」については,すべての生徒に履修させること。「B器械運動」,「C 陸上競技」,「D水泳」及び「Gダンス」についてはこれらの中から一以上を,「E球技」及び「F武道」についてはこれらの中から一以上をそれぞれ選択して履修できるようにすること。

 本校では2年生で剣道を15時間以上をかけて重点的に学習させています。実技だけでなく、剣道を通して武道文化の特徴を歴史的にも理解させ、学習指導要領にはない体育理論としての「武道とは何か」という授業まで行っています。生徒たちはそこで習ったことと実技を通して学んだ内容について単元の終わりにレポートを書きます。生徒たちは武道のすばらしさと現代剣道の課題を理解し、日本人として外国の方たちにも武道とはどういう文化なのかということを説明できるような内容を書いてきています。学習指導要領以上の内容を2年生で学習させているのです。その上で学習指導要領から見れば、本校では学校選択として3年生で球技を行っているということになります。学習指導要領にある内容をやっていないのではありません。
 そういう状況ですから、あえて3年生に「Eの球技及びFの武道のどちらを選択しますか?」などと聞いたとしても、生徒たちは球技を選択するだろうということは分かりきっています。本校の生徒たちはバレーボールが大好きで、今は休み時間もたくさんの生徒たちがバレーボール遊びを行い、そして放課後は生徒会体育委員会の主催で自由参加のバレーボール大会も行っていて盛りあがっています。秋のバレーボールクラスマッチをみんな楽しみにしています。そういう3年生の秋に設定している球技単元のところに「バレーボールと剣道のどちらを選択しますか?」と聞かなければいけないのでしょうか。 
 もともと現学習指導要領で「E球技」及び「F武道」から一つを選択などという枠を作ったときから、生徒たちにどちらがいいか聞けば球技を選択するに決まっているということは分かっていました。こんな領域の全く異なるものを選択として設定すること自体が学習指導要領の欠点なのです。学習指導要領を絶対視するのではなく、欠点ももったものとしてあくまで参考にすべきです。それくらいの見識は主事の先生方なら持っていていただきたいと思います。それともそちらのお立場を尊重して、本校の秋の単元のところに「バレーボールか剣道かの選択」とあえて書けばいいですか? そんなことまでさせることは時間の無駄であり、あなたたちが私たちの時間外勤務を増やして苦しめているのです。 
 本校では球技は学校選択ではありますが、3年生では、1,2年生で習ってきたことをもとにして単元計画や1時間の練習計画、試合計画まで自分たちで立て、生涯スポーツにつながる学習の進め方をしています。同じバレーボールでも1,2年生の時の進め方とは全く違います。これは学習指導要領の主旨にも合っている学習の進め方だと考えています。

 ご指摘の点についてのこちらの見解は以上ですが、今年度に入っての県教委の主事の先生方が行ってきていることについて、若干の意見を述べさせていただきます。
 まず、今回の各校の年間指導計画の提出は県教委へ提出したものでした。それが〇〇教育事務所で点検され、各校に訂正を求めてきているようです。つまり、県教委が全県的に学習指導要領の実施点検活動を始めたと捉えられます。私も長く体育主任をしてきましたが、こういう点検はこれまでになかったことです。学校現場の主体性を軽視し、先生方を信頼していない、先生方の専門性を尊重していない情けないことが始まったと驚いています。職場会でも話題にしてみましたが、他教科ではそんなことはやっていません。それどころか、以前は学習指導要領に合わせたカリキュラム例を郡市で作成していましたが、それも各校に任せるということでやめてきている状況があるという話が出ました。「体育ではそんな時代遅れのことを始めたのか?」という驚きの声もありました。いつから県教委は学校の主体性や地域の教育を大事にすることよりも、国のいいなりの教育を進める管理係になってしまったのでしょう。
 今回県教委からの言われたとおりに年間指導計画を訂正する学校も出てくるでしょうが、訂正しただけで実際はその通りに行わない学校もあるかもしれません。その時は今度は現場に直接視察に入るのでしょうか。そこまでやりますか? そこまでやったら戦前戦中の教育と同じです。この動きは主事の先生方は自覚されているかどうか分かりませんが、安倍内閣の教育再生、教育の国家統制の動きと機を一にしています。教育の国家統制は戦争への道です。今国会で大きく問題になっている動きの流れの中のひとつなのです。そのことを自覚していただきたいと思います。

 次に、教育行政に責任を持てるのかということを考えていただきたいと思います。今の学習指導要領を国の示す通りに忠実に学校現場で実施させていくことについて、主事の先生方は責任を持つことができますか? このことに関してよい例があります。数年前のこの地域での教育課程研究協議会の時のことです。新しい学習指導要領になって、これまでは中学2年生からスポーツ種目の選択制が行われていたものが、3年生からに変わりました。その理由について主事の先生が、「中学2年生の選択能力がない段階で選択させてきた」と、現場の先生方がそうさせてきたからいけないような説明をしました。私は、中学2年生から選択させる問題は以前から現場で出てきていたのに、それを無理にやらせてきたのは文科省や県教委であり、責任はそちらにあるはずだ意見を言いました。それを聞いて、その主事の先生は昼休みに文科省へ電話をして聞いたようです。その答えは「文科省には責任はない。なぜなら、教育課程の編成権は学校にあると指導要領に書いてある」からだというのです。指導要領通りにやらせてうまくいかなくても責任をとろうとしないのが文科省や県教委だということを主事の先生自らが認めました。私たち現場教師は、日々の実践で下手をすればすぐに子どもたちや保護者、地域から不満の声が出てくる。だから専門性を磨き、慎重に、日々苦労して実践をしているのです。そういう現場の先生方の専門性を軽く見ている無責任な行動を県教委はとっているのではないでしょうか。

 今年になって県教委から体力向上プランの提出についても新しい指示があり、これについては5月に私の方で直接県教委の学校体育係へ電話して意見を述べさせていただきました。体力向上ブランの作成においては、根拠のない数値(T得点)を県教委は示して現場に不安をあおり、全国平均へ追いつけ追い越せと競争を煽っている。こうしたことに慎重にならなければということは文科省さえ言っていて、だから小学校5年生と中学2年生にしか実施していないのです。県教委は全ての学年でやらせて提出せよと言う。「この体力テスト項目はこの数値以下だとこんな健康問題が出る」などというデータを示して取り組ませるならまだ分かりますが、そんなことも考えられないでしょう。平均値で物事を考えるというあまりにもレベルの低い、無責任な取り組みだと思います。 県教委はもっとほかにやるべきことがあるはずです。

 加えて、体力向上プラン、及び今回の件についても、県教委は私たちの仕事を増やし、現場をますます苦しめています。時間外勤務を無くせと言いながら、その県教委が新しい仕事を現場に押しつけてくる。出さなければ市町村教委を通して催促させる。私は今年度新しく体育主任になった同僚が仕事に追われ、苦しめられている状況を見ると県教委のやっていることに対して憤りを感じます。

 私たち教師は学習指導要領を参考にしながらも、地域や子どもたちの実態に合わせて卒業までにつけさせたい力を明らかにし、教育課程を編成しています。そこでは少しくらいは指導要領と違っている部分が出てくるかもしれません。それをいちいち重箱をつつくように指摘され、県教委にお伺いを立てていかなければならないようでは創造的な実践はできません。欧米では教師の専門性は日本と比べてはるかに尊重されています。

 県教委は今回のようなことに力を注ぐのではなく、現場の先生方が希望をもって教育実践に当たれるような実践を紹介したり、時間外勤務を現場のせいにせず、働きやすくなる方法を提案するなど、もっと責任を感じて考えていただきたいと思います。今回の件については県教組にも相談し、対応を考えています。
 体力向上プラン作成における無意味な数値分析、そして体育の年間指導計画の点検活動はすぐにやめていただきたいと思います。
                                                               以上

 以上が返答の来なかった県教委への私の反論文ですが、その数年後、上記にあげた「体力向上プラン」における数値目標の設定(県や全国の平均値に比べて)という指示はなくなりました。そして体力・運動能力テスト結果の県への報告については、毎年の県教委からの通知に、小学校5年生と中学2年生以外は任意ですという一文が必ず載るようになりました。
 私の反論の中に出てくるバレーボールの授業および2年生の武道についての詳細は、本稿の第2章「授業研究の面白さ~実技編~」をお読み下さい。私たち現場教師がしっかり研究し、上からの不当な指示に対しては声を上げていく必要があると思います。

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