自然派医師という不思議な言葉
最近、「自然派医師の〇〇先生の講演!」とか「自己免疫力を高めて感染を防ぐ身体つくり!」なんて言葉を聞いて思ったのです。自然派医師ってなんだか不思議じゃないかと。
というのは、そもそも医療って不自然な行為です。人はみな死ぬわけで、死なずに、なるべく苦しくないよう、自然の摂理に抗うために医療は発達してきた訳です。
それで、不自然だからこそ多くの人で議論してどの方法が確からしいか、模索のために根拠が重視されてきたのですが、それが自然派医師によると「予防接種は国と製薬会社の陰謀!データは捏造されている!」となったりして。なんだかなあと思います。
確かに大昔、製薬会社と医師たちが蜜月な関係だった時代もありましたが、令和はそんなこと言ってられません。医師たちは医薬品の製品力(効果や安全性)で処方するかどうかを判断しますし、製薬会社は新しい価値のある医薬品を創造するのに必死です。
話を戻します。今年の10月、東京でインフルエンザが流行しました。ちょうどその時期に医師をしている友人と食事をする機会があったので聞いたら、医師たちの間ではラグビーW杯の海外からの観戦客が持ち込んだという説が出ているとのこと。新聞やネットニュースにもそんなことは載っていなかったので驚いたのですが、W杯が終わり半月後そろそろインフルが流行りだすかな?という頃にワイドショーで「インバウンド感染の可能性」なんてやったりするのです。
これはいろいろな問題が絡んでいます。本当に海外からの観戦客からなのか?とかそれほど視聴者の情報リテラシーは信頼されてなくて、パニックを恐れても時間差報道なのか?とか。それがまた階層的な不信感をうむのでは?とか。
でも、このことが示唆しているのは来年のオリンピックも備えたほうがいいのではないかということ。特に、2016年夏は麻疹が流行しました。日本では一旦収束宣言ができた麻疹が、海外から持ち込まれ感染の自覚がない若者がコンサートに行ったとか、空港で職員が軒並み感染とか大きな騒ぎになりました。
すごく個人的な話で恐縮ですが、この自覚がなかったということ実は私も経験しています。友人から誘われた超人気アーティストのライブが午後からある冬の日、37.0℃の熱と寒気にクリニックで検査を受けました。インフルは陰性だったのでただの風邪だろうと思ったらその晩、高熱と猛烈な関節痛でダウンしその翌日は休日診療所で検査したらバッチリインフル陽性だったという。
ウィルスをまき散らしていたかと思うと本当に申し訳ないのですが、なかなか取れないチケット、はるばる新幹線の距離の私の地元でのライブをおさえて友人が来てくれているという状況、検査してインフル陰性という状況に休むとはなかなか言えなかったのです。
自然派医師たちは言います。予防接種の意味はない、罹ったほうが免疫獲得になる。など。しかしそれはうつされても構わないし、会う人が限られていてうつしたりうつされたりするの可能性が低い人に限るのではないかと思うのです。
身体の不調を感じたらすぐに学校や仕事を休めるとか、不特定多数の人が行き来するスーパーに行かずに食料調達ができて、公共交通機関も使わず、マルシェなどのイベントやTDLやUSJといったテーマパークなど前から楽しみにしていても少しでも不調であれば決して行かないという人。
麻疹は妊娠中に罹ると胎児に障害の発生する確率が高いと言われています。なので、予防接種を自治体も無料にするなど広く呼びかけています。それはなぜかというと、上記のような場所に妊婦さんが行く可能性があるからです。
もちろん、自衛のために不要不急の外出は避けるべきなのかもしれませんが、仕事をするにも人に会うにも、不特定多数の人と妊娠中一切関わらないで過ごすのは至難のことです。
もちろん、障害があってもなくても大切なこどもであることは変わりません。ただ防げるのであれば、防げたほうが母子ともに楽に生きられることは確かだと思います。
もしかしたら、医療の発達において「何のために」が置き去りにされてきた結果、患者側と医療実施者側の間にギャップがうまれて反科学的医療(というのも変な言葉ですが)が支持されることになったのかもしれません。
そこは「何の」「誰のための」医療なのか、患者も医療実施者も、ともに考えていく努力を重ねたいなあと思うのです。世の中そんなに悪者はいません。
で、写真ですがうっかり9月末に蒔いたパンジーの芽です(写真は10月中旬時点のもの)。本来は8月末に蒔かないと間に合わないそうで、まだ双葉の状態!間引きにも躊躇してしまいぼうぼうになっていますが、初夏になる頃には枯れてしまうパンジー、果たして開花までたどり着けるのか!?
日に日に日照時間は短くなってます。11月に買った苗はすでに開花後種がついていました。頑張れ、ベビーパンジー!
というように、自然は人間にとって決して都合よくありません。自然との闘い方だったりやり過ごし方を先人の知恵として、上手に利用することこそ、自然の犠牲になった方々への恩返しだと私は思います。
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