M-1 2021を見終わって

遅まきながら今年のM-1を見ました。もはや国民的行事となったM-1なので、番組が終わればすぐに結果がネットニュースになり、当然誰が優勝したか知りながら見ていた。結果は知っていてもやはり感動してしまった。優勝が決まった瞬間の長谷川さんの涙には、もらい泣きしてしまう。

もはやM-1は競技である。ゆにばーすの川瀬さんは、M-1を甲子園と例えていた。

わたしは録画したM-1を見ないうちに、ネットに溢れる “屈折何十年、やっと陽の目を見ました!”的な記事に違和感を覚えて、「M-1はもうお笑いバラエティではなく甲子園のようで、一生懸命頑張っているから、つまらなくても讃えてあげましょう。っていう番組になってしまった。そこまでお笑い番組に感動や涙はいらないんじゃない?」というようなことを、ネットニュースのコメント欄に書き込んだ。

確かに今年のM-1の演出は凄かった。ここ数年、芸人たちがM-1にかける意気込みの煽りVに力が入り、今年は優勝が決まる審査の前に、オアシスの曲をBGMに使い、演者の素の表情をドラマティックに演出していた。もう、NHKのプロフェッショナルなみのドキュメンタリー番組だ。

昨年、今年と同様に最年長ファイナリストということで注目を集めた錦鯉の長谷川さんに密着取材をしていたとある番組を見た。まあ典型的な売れない芸人の生活で、この先売れなかったら餓死するんじゃないか、というくらい貧しい生活ぶりだった。そんな背景を知ってしまうと、錦鯉の優勝は、まるで身内のことのように嬉しく、もらい泣きするのも不思議ではない。

だけれども、個人的には、プロは裏の苦労を見せるべきではないと思っている。こんな極貧生活送っているんですよ、ってアピールされると、もうその芸人を見て笑えなくなり、同情しかできなくなる。もちろん本人にはそんな意図はなく、仕事を選べる立場でなければ、密着取材でプライベートを曝け出さなければ稼げないのだろう。

今は何でも裏も表も見せてくれる。お笑いネタでも、すぐに芸人たちがネタが出来上がるまでの裏話や所々での解説、楽屋話など包み隠さず教えてくれる。

それはまるで、高校球児たちが甲子園を目指し必死に練習している姿を見せられているような感じに似ている。

甲子園で敗れた球児を、甲子園まで届かなかった球児を笑うものはいないだろう。

M-1で優勝出来なかった芸人たちを、ファイナリストに残らなかった芸人たちを馬鹿にするものはいないだろう。

M-1を純粋なお笑いバラエティ番組として見ている人は、もういないかもしれない。

一つの競技になってしまった。

人生を賭けた戦い、という表現は決して大袈裟ではない。

そんな緊張感のなか、誰かを笑わせるために、ネタを書き、馬鹿を演じることのできる芸人さんたちには、本当に感服するしかない。

お笑いに涙も感動もいらないと思っているけれど、錦鯉の優勝には、素直に感動せざる得なかった。

本当におめでとう。

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