ジャイアントロボット2ギャラリーで、その4

マーカーでドローイングをする、という事と、それを展示する、という事について書いております。オレはもともとマンガとイラストの人なので、こういう展示に関しての話は少しづつ知っていくというおもしろみもあります。大人になってからの初体験は大切。今日はギャラリーのはなしとライブドローイングについてを少し。

オレゴンはポートランドのコンパウンドギャラリーで初のアナログのソロショーをやったという話を前回しまして、無事に売れてよかったなというところで終わりましたね。よかったな、の中には2つのよかったな、があってひとつは「作ったモノがちゃんと売れた(生活できる)」もうひとつは「仕事相手(ギャラリー)に迷惑をかけずに済んだ」というヤツです。

ちなみにギャラリーで展覧会をして作品を販売するにあたって、売り上げはギャラリーと折半します。カタチによっては作家が6でギャラリーが4,みたいなこともある。でも大体ははんぶんこ。これは人に言うと「え!そんなに持って行くんですか!?」と驚かれるし、じぶんも一番最初はそう感じた。でもまーギャラリーからするとですね、売れるかどうかもわからない絵を手間暇かけて展示して、人を使って、案内とかのハガキやポスター刷って、場所を提供して(家賃というのがありますからね)、一枚も売れなかったらその手間賃も光熱費も家賃も出ないで大赤字、という恐ろしいギャンブル性の高い仕事ではあるわけで、そこはイーブンだな、と納得している現在です。あといいギャラリーはちゃんとお客さんと販路を持っていて、ちゃんと絵を売ってくれる、という仕事もしてくれるわけです。勿論作家はそれだけの作品を作っていくのが前提なのである。いろいろな関係性があって信頼が生まれたギャラリーとは長く続く、という事です。ありがたい。

ギャラリーでショーをすると、そこに客寄せとしてイベントも組み込んだりします。いわゆるサイン会とかトークショーとか。で、なにやらいつの間にか始めてしまったのがライブドローイングという。つまり人前で絵を描くという気恥ずかしい事を始めちゃったわけです。こどもの頃とか人前でなにかをやる、という行為が全ての恐怖の対象だったオレが今大勢の人の前で平気、な振りとはいえ精神状態を平静に保って絵を即興で絵を描く、というのは凄い。えらい。こどもの頃のオレにそんなこといったら即座に放涙し座りションベンをするであろう。歳を取る、というのも悪いことではないなーと思ったりする出来事なのですが、まあライブをやるのです。

ライブドローイングに際しては基本事前にアイデアスケッチとかはしてなくて、それは何故かと問われてよく答えるのは「緊張感を持続するため」とお伝えするわけだが、もーひとつ理由があって、事前に決めちゃうと間違いなく予定とずれていくので、その修正に余分にパワーを必要とすることを回避する為、とも言えるのだった。ズレちゃうわけです。脳内に浮かんだモチーフや線を、100%なぞることは不可能なので、すこーしづつズレていく。ここに鳥描いて、こっちにおじいさんの顔描いて、みたいな計画して描き進めても、かならず5〜25%くらい線がズレていく。思ったものと違う絵が目の前に現れる。その時に、ガチガチに事前に絵を決め込んでしまってるとオレは慌てふためいて、大勢のオーディエンスの前でションベンを漏らす。では漏らさない為にはどうすればいいのか。対処方法としては目の前に現れた線(現実)に自分を合わせていくのがベストな道だなと思うわけです。と同時にほんの少し未来予測をする。どういうことかというと、引いちゃった線やモチーフが「どうなりたいのか?」を予測する。

描いているオレが「どうしたいのか?」ではなくて、描かれているモチーフに沿うのがかなり重要だと考えていて、そーゆー考えで進めていくと、ほぼ大間違いはしない経験則があるのです。ちいさく間違えるけど。でも致命傷ではない。

引いた線に責任を取っていく、という表現もしたことあるけども、つまりは主体はいつだって絵にあって自分にではないという考え方です。オレの絵はだいたいそういう考え方で成立していく。キャラクターデザインしかり、イラストもマンガも。マンガ家のひとがよく「キャラクターが勝手に動く」という言い方をするんですが、それもそういう事なんだろうな、と今は認識してます。コントロールしようとしないこと。コントロールすべきはもっと技術的な側面においてのみで、あとは作品に寄り添うこと。そういう思考を持って白い画面の前に立って線を引き始めています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?