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ジャイアントロボット2ギャラリーで。その2

前回の投稿が2016年である。きまぐれシェフか。
なんの話だったかというとアメリカで最初の個展をするまでの話をたぶん書こうとしてたんだな、ということが一読してわかったのだった。そうだったそうだった。
ざっくり続きを書くとアレだ。前回の記事内で描かれた絵は、しばらく仕舞い込まれた数年後よいしょっとばかりに引っ張り出される事になる。
ふとした縁で知り合いになったオレゴン州はポートランドにあるコンパウンドギャラリーのオーナーで、日本人のカツ・タナカが「うちでショーやりましょうよ!てらださん!ハハハハハハハハ!」と笑ったのだった。
それまで日本で数回、展覧会の話がないこともなかったのだが、印刷前提の仕事がオレの領域、と思い定めてたのでなんかそういう活動に食指が動かなかったのです。だけどその時は何故か「アメリカだとなんか気楽そうだわ」という思いが生まれた。今思うとたぶんにそのカツ・タナカの脳天気そうな性格に左右されたのかもしれないのだが、同時にその時行ってみたポートランドが大変快適な街だったからという事もある。なんにしろ人生で初めての(出版イベントでの展示をのぞくと)能動的なソロの展覧会をポートランドで開催した。が、しかしその展覧会は仕事の絵をメインにした鉛筆の線画とデジタルの着彩した絵のプリントがメインだったのです。なんせ最初だし、こんなアメリカにオレのファンがいるのかどうかも、あとオリジナルで展覧会用の絵を描く、ということをやったことがなかったので無難に仕事関連の絵の展示、というカタチにしたのだ。お客さんはなんだか結構来てくれて、昔から好きだったよーとかいろいろうれしそうにしてくれてる。それに触れて自分でも思ってなかった感情がその時に芽生えました。それが「折角来てくれてるお客さんに、そこで初めて観る絵をちゃんと提供したい」という気持ちだったのです。わざわざ脚を運んでくれるのに、昔の絵を、しかもプリントアウトでいいのかよ、と自分に問うたわけです。で、その時のじぶんの答えはノーだった。若干じぶんのことをサービス業だと思ってる節があるので、たぶんそこが疼いた。「今回のショーはぜんぜん驚いてもらえるようなサービスができてない」て感じの。

そしてそこから2,3年後の2011年に同じコンパウンドギャラリーで完全新作だけのセカンドソロショー「terra's Black Marker」を開催する事になります。
まさに阿佐ヶ谷美術専門学校のOBでやった展覧会で描いたB1のマーカーの絵がそれの核になった6枚の連作がひょいと描き上がったわけです。





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