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ジャイアントロボット2ギャラリーで、その3

このノートは寺田克也がソロエキシビジョンの活動を開始するあたりの話を入り口に今にいたるパーソナルワークの流れについて問わず語りをしている、という体の記録でもあり今後はどうするつもりなんだろう、というじぶんへの問いかけの入り口にもなっている予定の内容ですが、ダラダラ書いてて読みにくいな。だが書く。

遡ってほぼ完全新作、いまの水性マーカーによるドローイングを始めるきっかけになったアメリカはオレゴン、ポートランドでのソロ展覧会2の話に戻りますよ。その時ブラックマーカーと名付けられた線画の連作は初日でお買い上げとなった。初日というか、ギャラリーではよくあるんだが前の日の設営の時点で顧客によって売約済みというカタチになることがあるやつだ。その人は6枚を見るなり「これはバラバラにならないほうがいいな」と呟いて、安くもないそれをまとめて購入してくださったのだった。ギャラリーオーナーのカツさんとオレは平然と「おー、ありがとう」とか握手したりしたわけだが、その人が帰ったあとハイファイヴしてビールで乾杯した。

勿論毎回そんな調子ででかい絵が売れると思い込むほど若くもなかったけれども、その時は本当にうれしかった。うれしかったと同時に、絵に金額がつくことにも若干恐怖した。イラストレーションではクライアントはほぼ企業体となって個人の懐ではない。しかも絵そのもの値段ではなく、媒体での使用料としての値付けだ。似てるようで全然ちがう。その絵の使用料を決めるまでに、業界で相応の価値やら複数の決定権を持つ人たちの協議など、いろいろなファクターがあって「ギャランティの相応感」が醸されてるのです。

でもじぶんのソロショー用に絵を描いて、じぶん(とギャラリオーナー)で値段を決めて、それを個人が購入するという流れではドキドキ具合が天と地くらいちがう。それがじぶんの目の前で行われるとき、ああ、、、この値段ならもっとよい作品になってたんじゃないか、、、この人あとで絶対買ったことを後悔するんじゃないか、そうにちがいない、いやもう後悔してるしてるったらしてる、と心がよじれる。


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