0→1の行為

ひとを生む行為
作品を生み出す行為
事業を組み立てる行為
誰かの言葉でなく自分の言葉で紡ぐ行為

1→100は0→1の上にしかなりたたないから、生む労に感謝がないのは軽薄。
でもそうして結局してもらったことに気づけない分は大切を失うようにできてるよな、とも。

0→1を軽んじる人間にはなりたくないな〜と改めて感じる。なりたくない大人。
でもきっと、そういうのって、気をつけても気をつけても、どこかでしてる。愚かだよね。でもどこにも100%はないし。
それに気がついた度に悪かったと言えるようではあろう。それを指摘し合あうことに前向きであろう。

原作者と脚本家の関係もそうだ
作品の盗作だってそう
会社だって、だれかが考えてシステムの上で価値を生みださせてもらってるのに、平気で社長をものみたいに見れるのはあまりに薄情だ
自然の定理いがいにはひとのあたたかみがある、1を組み立てるために精神って本当に削れるもの。

0→1のすさまじい労、尊い行為、どうか少しでも軽んじられず、苦しい思いをする人が減ればよい
無論自戒 生む人間、いつもどこかで大切に抱きしめられて

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