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石岡瑛子展を観て……

石岡瑛子展@東京都現代美術館に行ってきました。キュレーションが素晴らしいです。

展示の最後に、石岡が高校の時に作った絵本があります。「えこの一代記」。えこと名づけた自分を主人公にして自分史が、切り絵風の色面を使ったイラストとタイプライターで印字された英語のテキストで描かれています。

戦争中は疎開して、東京に戻り女学校に行き、そして高校を卒業したら藝大に行く……ベン・シャーン風の筆致で描かれた素晴らしい先生と仲間たちに囲まれ、その後世界各国で活躍する。

しかし、現実は……石岡は当時の藝大図案科(現・デザイン科)に幻滅します。最初の展示部屋に石岡が雑誌に寄せた記事が展示されていますが、そこにはバウハウス的な教育を期待したものの、鳥獣戯画の模写をやらされたりと藝大のアカデミックな教育への失望が綴られています(今は違いますよ)。

4年生のときに1960年に世界デザイン会議が東京で開催されます。上野の東京都美術館で会議が開かれ、参加したブルーノ・ムナーリやハーバート・バイヤーなど世界の名だたるデザイナーに触発されたこともその雑誌原稿には書かれています。

卒業後資生堂に就職し広告デザインを手がけ注目を集め、独立してパルコの広告で誰もが認める日本のトップデザイナーの1人へと登り詰めます。海外からのオファーが来るようになり日本を離れることを決意します。

ニューヨークへ活動拠点を移し、おもに映画や舞台のコスチュームデザインを多く手がけるようになります。展示中盤からの海外での仕事が圧巻です。

海外での活動の始点になったのが「Eiko by Eiko」と題された自分で編集した作品集です。そのトップを観音開きで飾ったのがフランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」のポスターです。

展示では、このポスターと作品集が石岡の転機になったことがしっかりと伝わるような展示配置になっています。それがきっかけでコッポラの「ドラキュラ」の衣裳デザインを手がけます。「落下の王国」などで素晴らしいコラボをしたターセム・シン監督もこの本を見て石岡に仕事を頼んだといいます。

コッポラの「地獄の黙示録」といえば、いかれたキルゴア大佐率いるアメリカ軍のヘリコプター隊が「ワルキューレの騎行」を流しながら海辺の森と村を焼き尽くすシーンです。

展覧会では石岡を世界へ導いたワルキューレの業火が回収されています。展覧会終盤にあるアムステルダム音楽劇場の「ニーベルングの指環」の衣裳はこの展覧会のハイライトです。この「ニーベルングの指環」のダイジェスト映像も見ることができます。

舞台に火がつき、メタリックな銀色の羽根とドクロの仮面のワルキューレの戦士たちが現れ、“ホヨトホー、ホヨトホー”と「ワルキューレの騎行」を歌いだします。そのシーンはコッポラが描いた狂ったヘリコプター隊と業火を想起させます。

泣けます。暴力な美しき天使たちの衣裳は、確実に「地獄の黙示録」とつながっているのです。

で、展示の最後は、あの絵本「えこの一代記」です。「地獄の黙示録」の原作はコンラッドの「闇の奥」ですが、石岡も導かれるように川を遡っていたのです。

闇の奥から彼女を導いたのは人間の業や狂気ではなく、自ら描いた一代記だったかもしれません。そこに描かれたピュアな創造への思い──自分の創造力を最大限に発揮し、国境を越え自己実現する自ら描いた自分の運命──。そんな物語が、学芸員・藪前知子氏のキュレーションの力で紡がれています。

もうひとつ、キュレーションの力を感じたのは、入稿原稿や色校正、コンセプト案、衣裳のデザイン画、PVの絵コンテを重視して展示している点です。それは石岡の仕事が一貫してデザイナーでありつづけたことを示しているものです。

設計をして指示を出したり対話を重ね、人の力を借りて形にしていく姿勢はまさにデザイナーです。映画や舞台衣裳は手作業による一点物ですが、最初にデザインがあり、ディレクションしながら形にしていくという意味では、石岡の仕事はデザイナーのそれです。

衣裳のデザイン画は、あえてあまり上手く描かなかったのだと思います。(デッサンが達者なのはマイルス・デイヴィスを描いた彼のアルバムのスケッチを見ればわかります)。

ソットサスが抽象的に描いた照明器具のスケッチさえ見事にプロダクトに仕上げてしまうイタリアの原型師ジョバンニ・サッキみたいな人たちが、ハリウッドの映画産業や舞台デザインの世界にはたくさんいるのです。

優秀なプロの具体的な形にまとめる力を引き出すために、あえて細かい指示をしない。日本にいたときに、色校正で細かい指示を出していたグラフィックデザイナーが、プロ中のプロの造形師たちに出会って、互いを高めあう仕事に目覚めていく。

その姿勢は服を作る人たちとのやりとりだけでなく、コッポラやターセム・シン、蔡国強、マイルス・デイヴィス、ビョークなどとの仕事にも貫かれたことだと思います。彼ら・彼女らも石岡をプロ中のプロと認めて、おそらく詳細にわたる指示など出さなかったはずですから。

この展覧会にはデザインをとおして輝かしい「一代記」を完結させた稀有の人物の姿がしっかりと描かれています。おすすめします。

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