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尾崎豊って本当に知ってる?盗んだバイクで走り出さない名曲を紹介します。

※この記事は、私が「愛に近づくMan and Woman」というブログ内で2019年3月に公開したものを再編集したものです(https://manandwoman.home.blog/)。Wordpressは使いづらいので、これからはnoteで更新していきたいと思います。



「尾崎豊」と聞いてあなたは何を思い浮かべるでしょうか。

群を抜いて端正なルックスや「15の夜」「卒業」といった名曲を連想する人もいれば、薬物事件や今でも様々なことが言われ続けているその最期を連想し眉をひそめる人もいることでしょう。

 そして、あまりにも激動すぎる彼の生涯や曲の歌詞の内容、「10代のカリスマ」と騒ぎ立てられていたことからしても、尾崎に「不良」「ヤンキー」というイメージをもつ人は決して少なくありません。それは尾崎の世代であってもなくても同様です。

 私も1~2年前までは本気でそう思っていて、音楽番組で彼の歌と映像が流れるたびに、曲が好みかどうか以前にスッと目を逸らしていました。全く違う世界の人達が支持する人だと思い込んでいたからです。

 でもでも、「15の夜」や「卒業」をちょっと聴いただけでそんなふうに決めつけるなんてもったいない!

少なくともその決めつけは、尾崎豊の繊細かつ大人びた世界観とどこか陰のある表現に触れる機会を失わせています。

 ということで、メディアで紹介されることは殆どないけれど、尾崎に対する勝手なイメージが変わる名曲をいくつかご紹介します。

♪「傷つけた人々へ(1983年)」

使い古しの台詞 また口にしておどける僕は 今度こそは 本当に ひとりぼっちになってしまうよ 何も言わないで

その攻撃的ともとれる曲名とは裏腹に、女性アイドルの曲かしらと見紛うほどのポップなイントロで始まるこの曲。

大事な「君」を裏切ってしまった「僕」の後悔、不安、そして「君」への愛情が、尾崎の繊細な言葉選びを通じて表現されています。

その明るくてかわいらしい曲調と爽やかに歌い上げる尾崎の歌声とは対照的に暗く悩み続ける「僕」、けっきょく「君」に許されることになったのかが気になってなりません。


♪「ドーナツ・ショップ(1985年)」

スタンドの油だらけの壁と 同じくらい黄昏れた街
僕は何度もつぶやいた 本当は何もかも違うんだ わかってよ

しっとり叙情的なイントロで始まるこの曲、都会的な尾崎のことですからたぶん彼の描いたイメージとしては都市郊外なのでしょうが、私はいつもこの曲を聴くと福井は坂井市にある東尋坊、それから北陸を舞台とした小説「ボトルネック」を思い出します。

 この小説には東尋坊周辺の道がくねくねとしていて、この先どこへたどり着くのか一体わからない―という具合の描写が出てきます。
主人公の決して明るくない結末を暗示すると共に、日本海側特有の寒々しくどこか暗澹とした雰囲気も表現されていて印象的なのですが、その雰囲気がこの「ドーナツ・ショップ」にも通じるところがあるのです。

 都会の喧騒の中、あるいはそれこそ日本海沿いのようにどこか寂れた町の中で寂しさやむなしさを「君」との会話を通じて感じる「僕」と、美しくかつ不気味に暮れていく街の様子が相俟って、聴いた後に心地よいのにどこか鬱蒼とした寂寥感の残る曲となっています。


♪「時(1988年)」

ああ夢は形を変えてゆく この小さな心を守るように 流れ行く先が見つかるように

前二曲とは裏腹に重いメロディーラインの曲で、歌詞もどちらかというと抽象的・内省的で暗い印象をより強く受けます。

それでもその暗い雰囲気が押しつけがましくならないのは、尾崎の色っぽい歌声と、過去を顧みながらもいつか遠い未来の安寧を願う「僕」の心中がうかがい知れるからかもしれません。


♪「秋風(未発表曲)」

町は秋風 さみしくなるばかり うらないさえもこのごろは ついてないおいらさ

この曲は一番、少しでも多くの方に聴いてほしい曲です。
この曲のためにこの記事を書いたといっても過言ではありません。

 厳密には1996年に「無題」というアルバムの中に収録され発表されている作品ですが、公式の音源ではなく、尾崎の手によってリリースされたものではない、というものです。

 未発表ゆえにデモテープの段階の音源であるため、聴き取りづらいところも多くおそらく尾崎の歌い方も万全な状態ではない(それでも素敵な歌声です)けれども、太陽が燦燦と照る夏から秋に変わるときの独特の涼しさや寂しさを細やかな表現で描いています。

この記事で紹介した4曲、個人的には「15の夜」も「I LOVE YOU」も霞むくらいの名曲だと今でも思っていますが、下手したら尾崎世代にもその良さが認知されていないであろうことが本当に悲しいです。

 実際、尾崎自身もライブで「もう俺は10代のカリスマじゃねーよ」という趣旨のことを発言したり、ヒット曲(や諸々の事件)でついてしまったイメージを執拗に求められることに嫌悪感を感じていたりしていたようですから、彼自身も世間のイメージに自身を無責任に委ねようとしていたわけではないようです。

 本当は同世代よりずっと大人びた感性で物事を見ていた人なのだと、少しでも感じていただける人がいるならば、この記事の執筆目的は達成されたものになるのではないかしらと考えています。

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