過去に置き去り

「紅白は最悪の歌番組」

 先日、あるニュースを見かけた。
 内容としては、俳優の黒沢年雄さんが、「年末の紅白歌合戦は理解に苦しむ最悪の歌番組だった...僕は」と自身のブログで述べていた事だった。
 黒沢さんは、「ただ騒ぎ立ててふざけて進行する...他の歌番組も同じ構成」「それにしても殆ど知らない曲が大ヒット...(すいません...僕の勉強不足)」「やり切れない気持ちを持ちながらベッドに入った...時代遅れの自分に自問自答しながら...」などと綴っていたという。自分を勉強不足、時代遅れとしながらも、綴っていた不満に、僕は驚き半分共感半分の気持ちを抱いた。
 驚いたのは、僕自身は今年の紅白歌合戦に対して大きな嫌悪感、不満も抱かなかったからだ。「このアーティストが出てほしかった」とか「この楽曲知らないな」なんて事は思ったりもしたが、番組を通して視聴しても「最悪の歌番組」なんて事は微塵も感じなかった。
 では僕は黒沢さんの発言のどこに共感したのか。それは、何も今回の紅白歌合戦に限る事では無くて、人は皆、人生の古参厨で、過去の虜だって事。

人は大抵過去の虜

 人は基本的に、失ってからその物事の良さの真髄に気付くし、人の中で思い出は美化されがちだ。だから、「昔は良かったのに」「変わってしまった」なんて言葉が日本中至る所で飛び交っている。黒沢さんにとっては、自分の一番見ていた頃の紅白歌合戦は二度と戻ってこないし、それが良いものだと感じていたからこそ時代と共に変化した紅白歌合戦に違和感を感じたんだろう。
 このようなケースは僕にだってたくさんある。例えばアイドル。僕はアイドルが大好きで、今まで様々なイベントやライブに行くなど(今はコロナの影響で中々ないけど)して応援をしているが、その中で過去に想いを馳せてしまう事もたくさんある。
 アイドルグループに限らずだけれど、メンバーが抜けたり、その逆で新メンバーが加入する事もあって、もっと言ってしまえば解散だってしてしまう事もある。状況に応じて売り出し方だって変化する。それに伴う楽曲のテイストも。他にも沢山あるけど、やっぱり戻って来ない過去の思い出ってやつは、時折頭に現れては疼いてしまうのだ。FF7のクラウドの言葉を借りるなら、思い出の中でじっとしていてくれ、って感じ。
 とは言ったけれど、何かをふと振り返って「あの頃は良かったな」なんて思うのはそこまで悪い事でもないのかもしれない。大学生の今でも、高校時代の友人と「高校の頃はこういう事があって楽しかったな」「戻れるなら戻りたいな」なんて、思い出話に花を咲かせたりする事があるが、それはそれで楽しいモノなのだ。

今もいつかは過去になる

 僕は過去を振り返ったりする事が実はとても大好きだ。突然思い出したかのように昔みていた「天才てれびくんMAX」のCDを引っ張り出してみたり、ドラマ「プロポーズ大作戦」を見返したり、小中高の卒業アルバムを引き摺り出してきたりもする。
 だけど、今を大事にする事もそれと同じくらい大切だと思うのだ。美化された過去の思い出ばかりに浸って、今を否定し、嫌うのは、僕たち若者の天敵である老害(勿論年配の方全てに言っている訳じゃない)って奴と一緒だ。僕が初めて書いたnoteでも言ったけど、当たり前に時は過ぎ、時代は移り変わり、自分も、自分の周りも、世界が変化していく。それについていけずに文句を言うのは正直ダサい。僕も最近「あの頃は良かった」を口癖にしがちだ。あの頃の良かったモノは良かったモノで大切にして、今良いと思えるモノも見つけていかないといけないよね。今だっていつか思い出になるんだから。

あとがき

 元々文章を書くのは下手だと自覚していたけれど、今日は一層ひどいかもしれない。ちょっとだけお酒を飲んでいたから許してほしいなあ。それで、これだけ言いたいのは、黒沢年雄さんを批判している文章ではないって事。俺みたいなよー分からん一般人のガキが名俳優に噛み付けるかってね。あくまでふと思った事で、自分への警告の為に書いただけだから。



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