見出し画像

2021年とゲーム

【本文】

言葉に心を揺さぶられたいなら寺山修司を読めばいい。心地良いくらいの感動が欲しいならバズったツイートのランキングを見ればいい。新時代を生き抜く視野を得たければNewsPicksを開けばいい。上質なポップスが聴きたければSpotifyでFNMNLと検索すればいい。おいしいコーヒーが飲みたければブルーボトルコーヒーでドリップバッグを買えばいい。Netflixのドラマ、確か「ノットオーケー」じゃなかったかな、の中で豊かな生活の描写として、家で淹れるコーヒー豆がBlue Bottle Coffeeの豆だという表現をされていて、以降C-originの目指すビジョンとしてそれがある。YouthquakeやMcGuffinのビジュアルの中にC-originのプロダクトがあるような......というのは余談で、つまり言葉も音楽もコーヒーも、良いものはすでに世の中に溢れている。5分足らず指を動かすだけで「こういうのでいいんだよ」というようなもの(ネットスラングってなんかおぞましいですよね)に出会えるような、飽和した世界に私たちは生きている。良い時代ですね。

なんてシニカルになってみたところで、そこそこ楽しい日々が目の前にはあって、だけどそれは満たされなさ、寂しさを内包していて。俺にとって2021年とはそれとの付き合い方についてだった。
例えば「コーヒーを中心とした”振る舞い”を排した自分に、肯定されるような価値があるのか?」「俺が何か声を上げること、例えばC-originとして文化に働きかけたりコーヒーの周りで働くこと、には利害どちらもあるけれど、ほんとにそれでいいのか?」みたいな。(岡村靖幸が「Boys」という曲で1989年に同じような問いかけをしている。)

幾度かの浮き沈みと悪あがきを経て、精神的にも肉体的にも様々な場を巡ったことで、ある程度の答えや意見が生まれた。しかしそれをここで文字にしてしまうのはあまりに野暮でしょう。安易にシステムを批判して勝手に絶望したり、加害者意識を強迫観念的に抱いて事態の複雑さから目を背けたりしてきたけど、世の中はそんなに極端じゃなくて、それこそ複雑で、「クソだな!」ってことと「最高だな!」ってことのあいだにあると気づけた。その曖昧さには色気がないように見えるけど、部分で見てみれば好きな音楽や人々がいて、そして世界は繋がっていて。。みたいなことを思うようになった。これだけでも十分野暮ですね。

「愛が1番大事!」みたいなことを本当に思う。「生産性」とか「自己実現」とか、ゲームの甘美さにやられて訳が分からなくなっている人たちがこぼしているものを拾って、幸せになってやる。

最後にコーヒーの話をしたい。

あまり好きなレトリックではないが、コーヒーなんて98%は水だ。残りの2%は抗酸化物質やカフェインなどで、決して愛や想いではない。

だけど、そんなことはどうでもいいと押しのけてしまいたい。

俺(たち)は確かにおいしいコーヒーが好きだけど、それだけに心を奪われているのではない。別に健康になりたくてコーヒーに夢中になったわけではない。コーヒーの魔法性、つまり形のない、100%の外側にあるものに夢中なのだ。それこそが愛であったり、想いであったり、”コーヒー”という飲料に付随してきた歴史、振る舞いであったりする。
そういった文化体系に自分が属す快感や満足感に浸っていることを否定出来ない。「カッコいいコーヒー、を好きな私」みたいなね。けれど文化ってそういうものだし、もの本来の側面と文化的な側面は切り離せないでしょう?そして何かを心から愛そうとした時には、根本的な理解、自らに身体化させることが必要となる。

そのようにして俺はコーヒーの持つ雰囲気、文化的な側面を好きになった。そこから溺れていくようにコーヒーそのものや、内在する態度のようなものに夢中になっていった。そしてそれらを自分の好きな他のカルチャー、例えばテン年代のポップミュージックやユースクラブシーン、部活動として2年半くらい続けた「走る」という態度などに相関性を見つけながら、時代のムードに目配せをしてC-originという”ユースカルチャーブランド”のかたちに翻訳してきた。俺はそのことについて、前線に立って走ってきた自負がある。だからこそ、こんな知った口を叩いているし、色んな逡巡を重ねて怒ったり笑ったりしている。

2021年は、余計な遠回りをたくさんしてきた。寂しいからって誰かを傷つけちゃいけないし、自分の孤独を埋めるために誰かを消費しちゃいけないとどこかのタイミングで気づいたのだけど、それを納得して飲み込むまでにたくさんの気持ちの揺らぎと時間を費やしてしまった。

愛への信託、みたいなことを考えるようになった。もしくは予感、momの言葉を借りるなら「湧き上がるリズムと誘発する何か」。それの到来を信託することが人生で1番大事かもなぁと思いながら、揺れたり生きたりしています。

なんだか最近、友人たちがnoteを始めていて、俺も今の言葉を残してみようと思いました。みんなの愛の調子、生活の調子はどうですか。コーヒーとカヌレ、もしくはカレーでもテーブルに並べていつかどこかでお話しましょう。

【補足】


FNMNLのSpotifyのプレイリストは本当に新譜チェックでお世話になっているし、寺山修司は大尊敬しているし、NewsPicksは何となくユーザーへ嫌悪感があるだけでサービスに憎悪ないです!Twitterはなんとも言えねーーー

「ゲームに良く例えるけど本当は俺は人生を進めたい」とは2014年のtofubeatsの言葉(First Album‼︎)

このnoteをdropした同日に、札幌のユースコーヒーシーンの最前線を走っているELMの熊谷さんも言葉を差し出していて、面白いような嬉しいような気分になっています。良いっ!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?