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25. 凪

前向きさがあるのと同じように、
ものごとを悲観的にとらえて、もともとその要素の薄かったものまで哀しく悪く導く癖がある。

その癖が出てしまっている時のことを、身近な人が、「受け取った言葉(の良くない部分)を傷口に塗り込んでいて、ああ そうするんだ… と思った」と話してくれた。
外からは見守ること以外できない殻に入ってそうしていたのが、最近分かる。

ようやくその渦中に自覚できるようになってきて、『苦しいし、いやだな』と感じても、癖は簡単には変えられず。

これまでも四六時中くり返していたわけではないし、殻に入っても最終的には出てきていた。
今も色々なかたちで社会に参加していて、だから、程よい緊張感や、 “楽しい” や “おいしい” のような喜び、湯船に浸かるようなあたたかな幸せも、日常にちりばめられている。食べることに困っていないし、毎日帰る家も眠る布団も 心のことばの通じる会話の相手も在って。

事実を並べると何の不自由も無い中で、それでも、2年くらい前から、登場する頻度が増える一方だった、苦しみを引寄せて肥大化させるこの困った癖が、この数ヶ月間でかなり減った。
荒れた海に急に訪れた 凪 … ……のように静かになった。



昨年、2023年は “この星で生命を与えられてから 今 ここに至るまで” を責任を持って自分のものとして受け止めたくて、頭の中も 現実世界の持ち物も 整理するための時間を多く持った。時間だけでなく、お金をかけてみたこともあったし、何より周囲の人たちにほとんど有無を言わせず協力してもらった。

特に頭の中にたまっていたのは、あれこれを人のせいにするための数えきれない 言い訳。それら数十年分を “1年ですっきり” と 簡単にはいかないから、今も押し潰されそうになっては休憩しながら 整理を続けている。
その流れでやって来た静けさ ならいいもののような気がするけれど、どうも血が騒いで、穏やかな時間なのに、底の方で落ち着かない。

よく考えれば、今の静けさにたどり着くまでの、いくつもあるきっかけの中には、光の先の諦め、想定していなかった 別離、答えが出ない疑問 も含まれているから、それらが他にいくつもある良いきっかけのエネルギーを飲み込んでしまう時があるのは仕方ないことなのかも知れない。



それでも、静かになった今
以前より自分の状態も 置かれている状況も把握できている。少なくともそう思えるし、だからこの次の瞬間、何に身体を使うか、どうしたら呼吸が楽になって、どう話したら身近な人に “今” が伝わるかを考えられる。
毎回実行できるわけではないけれど。

少しずつ立ち直りも早くなってきた。
落ち込み続けなくなり、今は向き合いたくない悩み事をとりあえず脇に寄せておいて進むことを 自分に許せるようになった。

そうして とりあえず なんとか立ち直っても、疲れて隙ができると、後回しにしたものに悩まされたり、感情に流されて言葉とタイミングのセンスが狂い、大切な人を傷付けてしまったり…
これまでとは頭や心を占めるものの内容は変わってきていても、言葉にしてしまえば同じことを繰り返しているのかも知れない。

でも最近身に沁みて知ったのは
また 情けなく、くやしい 惨めな場所に立つことになってしまっても、まず当事者である自分が、自分のやり方で呼吸を整え、次の行動を決めれば、それは本当の意味で 救いになる ということ。強さになっていく ということ。
最初の一歩が自分の意志決定によるものでないと、その先のどのステップも心を寄せてくれる人の足かせになる。

足かせ や 重荷 ではなく
いつかは、
せめて身近な人たちにとっては、
向き合っている時、 気持ち良く ためらい無く その人がその人自身でいられる相手になりたい。


世の中の判断基準にあまり惑わされずに、良く適当に、そっと脱力しつつ、小さな自分を投げ出さなくなれてきていると信じてみる。

日々、身支度に向かう鏡に
「  THERE  IS  ALWAYS  HOPE  」
大切な友人が贈ってくれたバンクシーのポストカードを飾っている。








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