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22. 身体で空気を揺らす

人を外面と内面には、簡単には分けられない部分も多いけれど、1つの種類の生き物として見た時の人間の身体のつくりと形、その造形や質感、動きが生む魅力に興味がある。

同じ “ヒト” という種に属しているのに、人間はある人の姿に美しさや魅力を感じ、別の人には嫌悪感さえ抱くことがある。その間にグラデーション。

誰にも骨があり、筋肉があり、同じ名称のパーツに同じ役割の臓器が入って、小さく分けて、まとめてしまうと細胞のかたまり。
配置の角度、パーツの大きさ、色の組合せ、無限に違って、でも同じ。


造形について、日本人の自分は西洋の人びとの彫りが深い顔立ちと、すらりと高い背、長くすんなりとした四肢にずっと一定の直感的な憧れがあった。
そんな外見の人ばかりではないと今は知っているけれど、広告などでイメージを植え付けられたとして、どうしてそのイメージは何の妨げも無く、自分の中に根をおろせたのか。
染められたり、洗脳された感覚は無く、パズルがすっとはまった感じだから不思議だなと思う。

多くの人や文化が持つ、“高い” や “(縦に)長い” に対する崇拝に近い感覚は、大昔の太陽信仰に由来する部分があると、昔聴講した芸術大学の公開講座で 書家である教授が話していたのが印象に残っている。


気軽に触れられる視覚的情報が増えたのもあって、最近は親近感のある容姿に幅がでてきて、造形的にも色々な人を美しいと感じるようになった。

そして情報に動画が増えて、動きのスピードや仕草のスタイル、それらと形の絶妙なバランスが魅力を深めると感じる。

日常の中でも、身体の中心、背筋に意識がある人、しっかり前を見て 大きめの歩幅で 静かに歩く人に惹かれる。
このところ以前よりも少ない気がする。

見かけると、はっとして清々しい気持ちになる。身体を丁寧にすっきり使っている人の周りは空気もきれいに見える。
清らかな動きが清らかな気流をつくっているよう。

鼻先や手指の先に気温、足裏に地面との摩擦を受けて 立ち、歩き、進む。身体が各々の個体特有の温度と重さ、ペースで空気を動かす。
基本的には備わっているものだけで、進みたい方向へ身体を動かすことができるのはすごいことだと改めて思う。
人間を含む様々な生き物や、その生活空間に有害なガスも音も生まない。それに歩行する人が多い程、その地は良く活気づき、美しく保たれると言う。

気付くと
あてもなく もっと遠くへ、もっと早く行きたい気持ちになっている。
まだ見ぬもの、手元にないものを追い求めている時間の中に居る。
でも、いつ、どこでそんな気持ちに染まってしまったか分からないから、
せめて日常では、1つの人体に宿る者として、物が線になってしまうスピードよりも、
ゆっくり優しく空気を揺らすことで
身近な美しさに出会える
空気の淀みも減らせる
と 信じていたい。

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今、自分が遠出が難しい状態にあるから
こう信じたいのかも知れない。
でも、長い間心にあることでもある。







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