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私の人生のターニングポイントはSEVENTEEN

CARAT LAND2022のDVDを視聴した。
当時となる一年程前、Twitterのレポを通してS.COUPSさん(以下スンチョルさん)がメントで話していた内容を把握していたが、映像として見たとたん私情9割の想いが溢れたのでここに留めておく。
(以下スンチョルさんメント うろ覚えなので大体の感じです。)

「僕の人生のターニングポイントがCARAT LANDに多くあると思います。(休養中の話に触れ)僕は今も人混みの中に行くのが苦手なんです。だから今回オフラインで開催されるCARAT LANDも少し心配だったんです。だけどこうしてCARATと会って、乗り越えられそうで安心しました。」

S.COUPSさんメント CARAT LAND2022 DAY2より

単刀直入な話、自分と重ねて泣いた。大変烏滸がましい話ではあるが泣いた。

というのも偶々の話になるが、スンチョルさんの休養とほぼ同じタイミングで自身がパニック障害を患ったからだ。

(以下回顧録)
別の記事でも書いたがコロナ流行後、私は世間と反してこのコロナ禍を嬉しく思った。「人に会うことがない、たくさんの人の中にいることがない」と。
それに相反するよう、薄く無機質な板越しに「早く学校で会えるといいね」と話す同期に「そうだねー」なんて嘘をついた時に自分に嫌気がさしたことも覚えてる。
本当、今自分がこの病気を患っていることそして他の人と同じ“普通の”生活が送れないこと全てが嫌になった。

それでもなんとか慣れさせていき、電車乗って学校へ行くことも、大勢がいる教室に居ることも、学校よりもはるかに遠いところに行くこともできるようになった。
できるようになったことも多いけどまだ怖いことがあって、それがライブ会場だった。発症する前は散々通って、翌日耳がボワボワする事も気にしないぐらいだったのに。
それが一つのことで全部ダメになってしまった。基本的に音が大きく、演出の眩いライティング、特効の突然くるでっかい音、そして何より大勢の人が。

そんな中で意を決して発症後に初めて行ったのがSEVENTEENのコロナ禍後初のJAPANファンミーティングHANABIだった。
いやもうすごかったよ、色々笑
そもそもライブハウスしか通って来なかった人間が、アイドルの公演ましてやアリーナ・ドーム級なんて初めて入ります〜な人間が「パニック障害になってに初めて行きます!」で召喚したのが世界で人気のアイドルさんだなんて笑笑
何笑ってんだ!という感じだけど今でも可笑しく思ってしまう。だけども、それほどコロナ禍、そして自分が自分と戦っている時にSEVENTEENさんに救われ楽しませてもらっていて、それ故の判断なのだとも強く思う。

そして話戻して当日。自宅を出る前に薬を飲み、さいたまスーパーアリーナ通称たまアリに向かった。久々の満員電車。不思議なことにダメかもとか一切思わなかったんだよね。
なんか同じ電車に乗ってる「あれ多分caratさんだ!」ていう人を見かける度に現れたワクワクした気持ちだけが記憶にある。その時点で分かる通りもうパニック障害の自分の思考はなくて、病気になる前の普通の自分の「今日楽しみ」という気持ちしか出て来なかった。今文章にして改めて感動してる。

そして、たまアリに着いて衝撃を受けた。人の多さに。この時だけはガチで終わりだと思った。けれどもたまアリの近くに住む学校のお友達と連絡を取り合っていて、その子が優しく面倒見が良く「あそこ休憩できる!」「なんかあったら連絡して!」とすごく味方でいてくれた。それが救いだったなという小話(お友達本当にありがとうね)

遂に会場に入り、ハリセンおりおりで指を切りつつ開演をドキドキして待った。
そして始まるHANABI2日目。
一曲目「舞い落ちる花びら」で私はもう大号泣した。隣のお姉さんはドン引いてた。
「好きになってまだ一年足らずの私なんかが泣くな、もっと待ってたcaratさん沢山いる…」と食いしばってたけどダメだった。
側から見たら久しぶりに会えて泣いてるオタクだったのだろうけど、私は自分の人生のターニングポイントが誕生したことに泣いていた。

「私、生きてる。大好きな音楽をこの身で体験できている。」と。

そこからは生まれて初めて見るアイドルのパフォーマンスに魅了され、ファンミーティングとはどんなものかを知り、(全てが終わるまでコンサートと何が違うのか理解していなかった)あっという間の時間を過ごした。

そして帰りの電車に乗り込み、同じ車両に乗ったCARATさんが隣に座った全然知らんおば様に持っている団扇を指さされ「なんて言う子」なのと聞かれ幸せそうに説明している姿を横目に自宅に着いた。
自宅に着いた瞬間、私は幸せと悲しみと安堵と解放感から靴を履いたまま玄関で泣いた。全ての感情に共通する言葉で言うならば「まだ生きていていいんだ」と涙した。
両親は泣いている私を見て困惑し苦笑いしていたがどこか嬉しそうだった。私も胸を張って家族に「頑張れそうだよ」と言えるまでになった。

お話を冒頭に戻して。
スンチョルさん、スンチョルさんはCARATと会って乗り越えられそうと言っていたけど、私は貴方が率いるチームのSEVENTEENさんと会って乗り越えられそうだよ。同じなんて言えないけどここだけは同じって、お揃いだねって言いたいです。あとさお揃いの方が可愛らしくならない?笑

スンチョルさんだけじゃなくともSEVENTEENの皆さんはみんな欲しい言葉を下さる。優しい言葉も、甘やかしてくれる言葉も、厳しい言葉も。SEVENTEENさんが「CARATがいるから!」「CARATのために!」と話してくれる時、本当に何人の人が救われているのだろう。例にも漏れず私もそのひとり。
たまにCARATが重しとなることがあるけれど(それは別で書くね)それ以上に幸せな事が多いから、自分が思う一人前・正真正銘のCARATになって「CARATがいるから!」という言葉に今以上に胸を張れるようこれからも自分の病気と上手く付き合って生きていくね。ありがとう。

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