巴日和という生き方に憧れて

私が巴日和と出会ったのはアニメあんさんぶるスターズ!だった。正直言って最初のイメージはあまり良くなかった。女遊び激しかったらしいし約束の時間は守らないし。「何だこの人」印象としてはそれだけだった。

それがどうして生き方に憧れることになったのか。まずは憧れる前の私について軽く触れさせて欲しい。

私は生まれた時からあまり健康体とは言えなかった。そのため、病院通いで母にかかる負担。「長女は育児の実験台にしても文句を言わないし介護要員だから一姫二太郎でよかった」と言われながら育てられ母から怒られ続ける日々。

幼稚園や小学校では虐められるようなこともままあり、小学3年生の頃には希死念慮を持ち始めた。その希死念慮は1度も消えることなく、この文を書いている19歳の私の中にも住み着いている。

そんなわけでいわゆる自己肯定感というものが殆ど持てないまま成人へと向かっている。

しかし、高校で出会った同級生が口癖のように「私なんか」というのを聞き続けた結果、「私、このまま変わらないと周りから友人消える!!」と焦りが生まれた。人の振り見てなんとやらである。

募り積もった希死念慮や不満は不定期的に爆発しそうになり、自傷行為や不眠等々に苛まれカウンセリングを受けたのが17、18歳の頃。

そうして大分メンタルが落ち着いた後になんとか自己肯定感を高めようと足掻きに足掻いてアニメ終了から約半年。ここで改めて巴日和に出会うのである。バイト先の友人が巴日和の相方、漣ジュンの沼に落ちたのだ。そこでEdenについて調べる中で私はEve結成の経緯を知るのである。経緯を知った後の感想は「何それ、おひぃさんジュンくんの救世主じゃん。エッッモ」である。

そのテンションのままアニメ登場回を見直す。元々Edenの曲は好みに合うのでノリノリで視聴。そして「もしかしなくても巴日和って自己肯定の塊なのでは......?」タイトルに至る前段階に行き着く。

"自己肯定感とはなんぞ"状態の私に降って湧いた救世主である。ありがとう巴日和。

そこからはゲームを始め、サマーライブやSSを読んで巴日和の考え方に悶え転がりながら沼へと足を進めていく。

そこでタイミング良く『軋轢◆内なるコンクエスト』のイベント告知が来るのである。神話や伝説が好きな私にかねてよりドンピシャだったEdenのユニットモチーフ。それが失楽園再現でイベントをするという。興奮しないわけがない。

ストーリーを進めていく中で巴日和の柔らかい部分にも触れ、彼の信念のようなものをより感じるようになった。

そして私は『巴日和という生き方に憧れる』のである。好きな物は好き、気に入らない人とは1秒たりとも一緒に居たくない。大切な人とは表面上だけでも対立させて楽しむなんて悪い日和。

生まれたからには全力で自己主張する。自分が身に余る幸せを得ていると思うのなら誰かに分け与える。愛されたいと全身で主張して誰よりも自分が自分を愛してる。芯は強いけど嫌われることにとても敏感。

そしていいことがあれば「いい日和」と楽しそうに笑うのだ。

そのスタンスを見ていると自分を卑下して生きていくのが何だかバカバカしく思えてきて彼の生き方が眩しくて私も彼のように生きてみたいと思った。

それから私はまず「いい日和」と口にしてみることにした。何だか胸の辺りがふんわり柔らかくなってそれだけでいい一日になりそうな気がした。

次に、母に否定されるのであれば心の中だけでも全力で自己主張して自分が1番自分を愛そうとしてみた。

しかし、19年も積み重ねた自己否定精神はそう容易く治るわけもなく、ひとまずは失敗する。そこで、自分が可愛いと選んだ服、好きだと思った音楽。そういったものを全力で褒めて選んだ自分のセンスも褒めて褒めて褒めまくってみた。

するとどうしたことか、前よりもほんの少しだけ、自分のことを認められるような気がした。

そして変わっていく自分自身に「いい日和」とまた言葉を送ってみる。何だかとてもいい気分になって幸せになる、今まで感じたことのなかった好循環だ。

ここまで来ると段々とオシャレした自分を見て「センス良すぎない??」自分の書いた文章を見て「言葉選び最高......」と以前よりも自分自身に近い所を好きだと思って自信の着く瞬間が散見するようになる。それに褒められた時に素直に喜べるようになった。

その上、友人に対して「一緒にご飯行きたい」「話したい」そういったことをあまり躊躇わずに言えるようになってきた。ここ10年以上殆どなかった感覚である。今までは死ぬほど緊張して連絡していた。

ただ、ここで忘れてはいけないのが私の中に住んでいる希死念慮やらなんかのネガティブな感情である。

ふとした瞬間に顔を出して全力で自分を否定してくる。幼少からの刷り込みとは恐ろしいものだとしみじみする瞬間である。

こうしてどんなに巴日和という生き方に近づこうとしても元々の価値観、周囲の環境が違えば、やはり同じ生き方はできないのだと痛感する。それでも彼なら「別にいいと思うけどね」って言いそうだ。

長々となってしまったが、巴日和という生き方に憧れて近づこうとして、自分なりの生き方を模索していく中、初心を忘れたくなくて文章をしたためてみた。

これが後々推し香水を作ったり拗らせて夢女子街道まっしぐらになったりする。そして顔面がいいと騒いでみたりあの生い立ちで性善説を支持できるおひぃにやはり敵わない......となってみたり。そんな話は機会があればまた


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