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勝手に涙が出るのを止められない人たちへ

人から見れば泣くような場面じゃないタイミングで私は涙が出てしまう。具体的に言うと、自分の意見を言おうとするときだ。



この間、ツイートして見たら思ったより反応いただいて自分でも感激したから改めてここにも書こうと思う。
私は昔から自分の意見を話そうとするタイミングで涙が出てしまう。
物心のついたばっかりの幼い頃から、親に「なんでこれしたの?!」って怒られて、口を開こうとすると涙がぽろぽろと止まらなくなった。親からは怒られて泣いていると思われてもっと怒られるし、話したくても話せないからさらに状況が悪化した。
親や親戚から、「涙が多い」「心が弱い」と怒られ、涙を流すのは悪いことだと思って我慢しようとした。
それでも大人になればなるほど、涙を抑えられない状況が減らないから余計に自分のことが嫌になった。
例えば、バイトで「辞めさせていただきたいのですが……」って相談しようとしたら目の奥がツーンとした。
大学や大学院の授業で発表をして、質疑応答を受けて質問に答えようとすると涙が零れそうになるのをこっそり隠しながら必死で話した。
教授と面談するときはいつも涙が止まらなくて、「誰もあなたのことを責めてないのよ」と心配されて申し訳なかった。
就活の面接で話すことよりも、涙がバレるんじゃないんかって方がもっと怖かった。
携帯ショップに行って、「このプラン替えたいのですが」って言うだけで涙がぽろぽろ出てきて困らせてしまったこともある。


涙もろいのか?と言えば、私は逆に大人になるまではいわゆる泣ける系の映画を家族で見てもひとりだけ涙が出ないタイプだった。こういうときに涙を流せる家族を羨ましいとも思った。
「感動しなかった?」「泣けなかったの?」とか責められ、人の心がないようなことまで言われたこともある……。
大人になったら涙腺がさらにバグって、逆に歌を聴いて涙を流したり、猫を撫でながら涙が出るようになったけど……。この場合の涙は、自分が何かを受け取っての感情だからまた主題の涙とは違うものと思う。
自分から何かを伝えようとするときに涙が出るのは、年齢を重ね大人になっても我慢できなかった。
つい最近でも、ミーティングで発言したり、上司と電話して話しながら涙が零れるのを隠さないで良いのは在宅ワークのいいことかもしれないとも思う。
20代後半、そこそこ良い大人と言っていい立場の私はまさかこの年齢になっても自分が涙を我慢できないことに嫌気が差していて、人前で涙を隠すことばかり考えていたし、泣くことが怖かった。

しかし、最近になってインターネットで偶然同じような悩みを持っている方を見つけて、「感性が繊細すぎると自分の意見を言おうとするだけでストレスを受け、脳がそれを和らげようと涙が出る」ということを知った。
原因そのものを知れたことよりも、自分のような人がいるってだけで本当に救われた気持ちになった。
泣くのを悪いことであるとこれまでずっと考えていたけど、ただ身体がそうやってできているってことを知って楽になった。自分の身体はただ繊細すぎる性質なのだと。

この話を自分の中で完結したことで十分だと思ったけれど、私と同じように自分以外にも同じ人間が案外たくさんいるって知っただけできっと罪悪感から解放される人もいるかもしれないなぁっと思って、ささやかながら誰かのために文字を書いてみた。

泣くのは悪いことではないし、涙が出ないのも悪いことではない。
涙というのは生理的な現象のひとつであり、人の心の器の形や大きさや素材はそれぞれ違う。
個人的にも、健康的な精神に必要なのは「自己肯定」ではなく「自己受容」だと思っている。
自分をあるがまま受け入れる、誰もがこの言葉を知っていても案外実行は難しいけれど、否定的な感情を消す一歩を積み重ねることも大切ではないかと。
他者の自己啓発の価値に引っ張られず、自分の涙を受け入れられる誰かの一歩の手助けになれたら嬉しい。
私がこの涙を受け入れることができた日のときのように。




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