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私の愛が、君がもらう愛の中でいちばん小さいといいなぁ

私が初めてロンジュンを認識したのはウィヤンのとき、砂浜のような茶髪がキラキラとした、白くて細くてかわいらしい男の子だなぁと思った。
「ロンジュン」という名前から中国人であることを予測して、それで終わったと思う。

とにかく、私にとってロンジュンは「意外」って言葉に尽きる。
NCTを認識して、NCT DREAMを認識して実際にファンになるまでその時間は長かったけれど、私は「ロンジュンペン」というアイデンティティに自身をあてることになるとは本当に思いもしなかった。
というのも、オタクが推しと>>出会う<<とき、人によっていろいろな形があると思うが、私は「運命直感型」で初見で「この子好きだな」「この子いいな」「この子推しになりそうだな」ってビビッときた子がそのまま推しになることが多かったからだ。
ロンジュンの場合は違かった。
予感がきたわけじゃなかったから、全く身動きが取れなくなった。
沼に落ちてると気づいたときには、防御もできないまま深く深く落ちていったのである。


ロンジュンの誕生日を記念して、言葉をまとめて訳したり、動画を作ったり、いろいろな形で愛を表現して愛を再確認してきたけれど、今年はきちんと文字で書いていこうと決めて、ロンジュンの好きなところを書くためには私のそんな事情から記す必要があった。
必要なのかは分からないけれど、私の中でロンジュンの好きなところは、好きになったそのときの感覚が全てだったから。


ロンジュンペンだと知ると、人々に「何がきっかけで?」と聞かれる。うん、分かる。私もオタクと会って話す機会があったらまず推しとの出会いを聞きたい。
私は「韓国語を話すのを聞いて……それで好きになった」と答えると、かなり不思議そうな顔をされる。「どういうこと?」と詳細を要求される。これだけで言葉が足りないから。

そう、上記の通り私にとって長らくロンジュンの印象は「顔のかわいい"中国人"」で止まっていた。
完全に油断をしていたのだ。
いざ彼らの話している動画を見出したとき、「あれ?私はロンジュンのこと中国人って思い込んでた?」ってナムウィキを確認しにいった。出身地を見て、そこでやっと彼の背景を知った。
なるほど、それにしても私の周囲にも彼と同じ故郷の人がいるのだけれど、彼ほど韓国語が上手い人を見たことがない。これは全て彼の努力だ。
私自身言語に挟まれて育ったことがあり、多言語話者に弱いという事情もあるのだけれど、だからこそロンジュンの韓国語にすごく胸を惹かれた。
そして徹底的に私を落としたのは、2018年の週刊アイドルだった。
MCに韓国語を褒められたロンジュンが、「韓国語には自信があるんです」と言って笑った。
その笑顔にやられてしまって、もうやられたと思った頃には遅かった。


私は、その動画を見た日からロンジュンペンを名乗ることにした。



ロンジュンのアイドルを目指した経緯、SMのオーディション、入社からデビューまでの道を見ても、努力してきたのは韓国語だけじゃないのは明らかだった。
笑うとふにゃふにゃゆるむ目元がかわいい君が、その目元を悔しさや悲しさの涙で濡らしてきたのかもしれない。
それ以上に強いロンジュンの姿に、知れば知るほどどんどん惹かれていった。

2020年の新年のVLIVEのとき、成人したばかりのチョンロさんと、ジェノと一緒にライブをしていた。
良くない人たちが何度もジェノに電話をしてきて、そのせいで雰囲気が悪くならないように努力するジェノの優しさが見えた。
ロンジュンはそのスマホを手に取って、空気よりも友達を守る行動に出た。
その姿も私にたくさんの衝撃を与えて、さらに感動を与えた。
優しい人は、守るためにその強さを使える人。ロンジュンは優しくて強い人だ。自分にはできなさそうな行動だったからより、彼のような優しさと強さを持ちたいと思うようになった。



「強い心とはどういうもの?」って質問に
「僕だけのものがないと。人々が僕を容易く揺さぶれないように」って答えたロンジュンの言葉は、ずっといつまでも私の指標になりそうだ。
「強さ」は孤立や固執ではない、「確固たる意志」を持って成り立つもの。


「自分の顔は好きか?」という質問に「僕は人々が自分の長所だけでなく短所までも愛せたら良いと思う。そういう意味では僕は僕のことが好きだ」と答えた。
ロンジュンは自分自身を愛する方法を知っている人だ。だから他人に愛を捧げる方法も知っている。やさしさの方向も、守り方も知っている人なんだ。


私はロンジュンと出会って、どんなに落ち込んだりどうしようもない気分になって全て諦めたくなっても、「自暴自棄になってはいけない」ということをはっきりと学んだ。「世界を諦めないこと」「自分を諦めないこと」はロンジュンが教えてくれた。


何より、ロンジュンの言葉をたくさん聞く機会に恵まれたのは乐动首尓でのラジオDJでの姿が本当に大きかった。
乐动首尓、ロンD、この二つの存在が私をさらにロンジュンに落としてくれた。
幼いと思った男の子は、毎日のラジオで人々の言葉に耳を傾けて、いろいろな国や立場や背景を持つ本当に様々な人の言葉に共感し、想像し、自分の経験からその人と会話をしている。毎日のように「僕があなたを応援しています」と勇気を与えてくれる。

ロンジュンが乐动首尓でのロンDの姿について、「ロンDとして語った言葉でいちばん印象に残っている言葉は?」と聞かれて、「一生懸命がんばっている人はその人自身が光を放っている」という言葉を語った。
ファンの人々が口を揃ってロンジュンのことを「この世を照らしている」と冗談のような本気で語る全ては、ロンジュン自身のこの言葉に詰まっていると思った。


ロンジュンは優しい、ロンジュンは強い、ロンジュンは光だ。
ずっとそう思ってまっすぐロンジュンを見つめてきたつもりだったけれど、2022年9月9日、やっと開催できた7ドリムでのドリショソウルコンオーラスで泣きながら「みなさん、どこにも行かず僕たちと一緒にいてください」とくしゃくしゃの顔で私たちにしがみついた。
やっと話せたのかな、ずっと言いたくても言えなかった言葉を口にすることができたのかな。その短い言葉を口にするまで、どれだけ勇気と時間が必要だったのかな。
ファンがアイドルに「もっと長くアイドルをしてほしい」「もっと長くこのグループで活動してほしい」と願うことは絶えないけれど、私はどうもアイドルに懇願されるのに弱かった。
推しに「どこにも行かないで」とお願いされたのは2回目だったけれど、ロンジュンをどこかで折れない花だと思っていた私はその言葉で頭が動かなくなるほど身動きが取れなくなった。

悲しい話がしたかったわけではなく、ロンジュンのその優しさと強さと弱さと儚さとたくましさと……その矛盾しているようで全く矛盾していない様々な姿の共存に年々どうしようもなく惹かれているわけでして……。
ロンジュンが「もういいよ!」って手を離してくれるまでは、ぎゅっとそのそばを離れる気はないよ〜ってこんな日に改めて伝えたいなぁって思いました。
アイドルもオタクも、誰も「永遠」を約束できないけれど、もしそんな日が来てしまったとしてもできるだけずっと先の話だったらいいなぁと願うわけです。


私は「ロンジュンってどんな存在?」って聞かれたら「光」って答える。
案外、光がなくても生きていける。私は部屋を真っ暗にするのが好きだし。暗いと安心したりもする。光が眩しすぎる日だってある。
でも光がなかったら、こんな景色と出会えなかった。こんな景色を見て感動する自分にも、こんな景色があるってことにも気づかずに生きていた。
もっと諦めが早い自分のままだったかもしれない。人に優しくなるために強くなろうって思う日が来なかったかもしれない。

変なところで現実主義者の私は、「もっと早く出会えていれば」と思わない方だ。だって、出会えた今があるのだから。出会えた時間から始まった方の現実がもっと大事。
ロンジュンに出会って知ったこと、大切にしたいと思ったこと、本当にたくさんある。

春が嫌いな私が、春に唯一期待するのはお祝いされる君の嬉しそうな姿。たくさん愛と祝福を浴びて、くすぐったそうに幸せでいるのを想像するだけで、春というものが暖かくて明るいものだって思える。

歌が好きな君が、たくさん好きな音楽を歌えますように。
ダンスが好きな君が、人々とたくさん呼吸を合わせてステージで輝きますように。
人と話すことが好きな君が、君のあげる以上の愛で囲まれますように。
毎日寝る前に、1日の幸せを振り返って、明日の期待に胸ときめきながらゆっくり眠れますように。
君の好きな色で好きな絵を描けますように。
君を幸せにする言葉が君を包み込みますように。

ロンジュン、お誕生日おめでとう。
韓国の歳で24歳、中国の歳で23歳になった君の1年が、溢れるばかりの光と愛で満ちて輝きますように。

何よりも、私のあげるこの愛が、君のもらう愛の中でいちばん小さいことを願います。

2023.03.23



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