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水深六千メートルで息をしていた
「潜ってばかりは疲れてしまうから、たまに上にあがって息継ぎをするんだ」
と、うろ覚えの顔と、この一文だけが反芻しています。ハンチング帽と少し長めの髪がよく似合う人でした。
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物心ついたころから絵が好きでした。
見ることはたいして興味はありませんでしたが、描くことは常に好きでした。
どこに行く時も、手のひらに収まる程度の小ぶりなノートと、外でも描きやすいペンを持ち歩いています。
好きな音楽を聴いて、気ままに街を歩いて、たまに知らない街まで行って、描きたいものを描きます。
思えば、18になるまでまともに交友関係を築いておらず、ただ黙々と絵を描くばかりでした。
「潜ってばかりは疲れてしまうから、たまに上にあがって息継ぎをするんだ」
この言葉を言われたのは、18の6月頃でした。
春に芸大生になったばかりで、必然と絵に没頭することが増え、ノートとペンを持ち歩き出したのもこれくらいの時期です。
それをポツリと呟いた彼は、ひとつ上の先輩でした。
「へえ」と何だかわからないといった返事をしつつも、何を言われているのか、何となくわかっていました。
あまり賢くない頭でしたが、勘だけはよかったのと、彼がよく「人生」についていつも周りに語る人だったからです。
「描いてばかりいないで、もっと人脈を大切に」
18の自分はそう解釈しました。
一般的にそうなのだろうとも思いました。
今でもそう思っています。
それから半年ほど、賑やかな場所で過ごすことにしました。
髪をくるくるにしたり、洒落た服を選んだり、楽しげなお酒の席に参加したり、賑やかな人の隣に立ってもおかしくないように。
お気づきでしょう、結果は失敗に終わりました。
息継ぎどころか、どんどん息が詰まり、窒息していくのがわかりました。
そして19の冬には、一段と深い深い海の中で、息をするようになっていました。
恐らく数少ない愉快な友人達は
「あいつ、しばらく水面から顔を出さないぞ」
と分かっていたのでしょう。
細い釣り糸を垂らしてのんびりと、ときどき顔を出す自分を待っていてくれたように思います。
今もまだ、海溝近くに身を潜めていますが、少しずつ変わってきたように思います。
一閃、一閃、深海にも届く小さくて、か弱い光です。
柔らかい光です。
追ってみたくなったのです。
自分にとっては大ごとでした。
だから、これから何を思い、あの時は何を思っていたのか、少ししたためてみようかと思うのです。
書いているうちに「息をする」場所から、「息継ぎをする」場所になっていればいいなと思います。
C.Heath / mizo
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