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どうにもならない線

 もうすぐこれも去年の話になる。

 春になり、上も下も七分丈がちょうど良くなるころに、ココノエは園芸店の棚の前で迷っていた。
 小さな芽だった。「ミニひまわり」なるものらしい。

 ココノエは今まで植物に興味を示すことはなかった。植物だけでなく、趣味嗜好とされるあらゆるものに興味を持たなかった。持とうともしなかった。
 ココノエが気になる事といえば、大学の単位や、友人関係、切りすぎた前髪くらいで、この新しくできた大型の園芸店には
「素敵で大きな鉢植えがほしい」
と言った叔母に付き合ってのことだった。

 大型の園芸店は思ったよりも暇をつくった。叔母が「素敵で大きな鉢植え」を見つけるまで、荷物持ち係にはすることがなかった。

「どれがいいか?」
と叔母が聞くと、ココノエは
「どれでもいいと思う」と決まって答えた。

「どれでもいいと思うだろうけど、素敵だと思うものはどれだと思う?」
と叔母が聞くと、ココノエは
「うん、どれでも素敵だと思う。どれもおれには作れないから。」と答えた。

 こんなふうだから、半ば呆れたような、相変わらずだなと言わんばかりの顔をした叔母に「休んでていいよ、ごめんね」とひとりにされ、叔母からの連絡を待つ間、園芸店をのらりくらりとする事になった。

 そして「ミニひまわり」を見つけたのだった。

 棚の上にはいくつもの園芸用ポッドが並べられていて、その中のひとつだけ、黄緑の芽が顔を出していた。
 水をあげたばかりだったのか、ココノエの小指にも満たない大きさの子葉が昼の柔らかい陽射しに照らされて、きらきらと揺れていた。

 ココノエは初めて、何かの前で、何だかわからない感情のまま立ち尽くしていた。
叔母が「素敵で大きな鉢植え」を抱えながらココノエに話しかけるまで、ココノエは頭から足先まで、動かすことができなかった。

 帰る頃、ココノエの手には大きな袋と小さな袋がぶら下がっていた。
頭の中はあおときいろばかりで埋め尽くされ、七分丈が少し暑く感じたのだった。


 そしてもうすぐこれも去年の話になる。

 結局、ココノエはミニひまわりを、4日間しか咲かせられなかった。
 7月の急な猛暑が原因だった。
 大学から帰ってきて、夕方の水やりをしようとしたところ、朝まで小さいながら堂々としていたひまわりは、項垂れるように茎から折れてしまっていた。
 あらゆる手を尽くしたが、2日、3日経つうち茎から葉から花弁まで焼けるように焦茶色に染まり、化石のように姿形だけ残し死んでしまった。

 その日は叔母の横でぽろぽろと泣いた。叔母はココノエの背中をさすりながら、
「素敵な花だったんでしょう?」
と言った。

 あと少しでこれも去年の話になる。
 寒空の下、あの大きな鉢植えには冬の花が寄せ合わせてあった。
 風が吹くと、ココノエの手からは土の香りがした。

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