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自身のパーパスについて考える

2021年9月3日の日本経済新聞に、「卒アル上書きプロジェクト」の記事がでていた。日本人は自己肯定感より、自己否定感が強く、とりわけZ世代はSNSで他人の生活をみることでさらにそれを強くするという。

会社員生活20年を超えたが、その間に日本企業から外資系に転職した。今ほどパーパスという言葉が蔓延してなかったが、転職することで自身のパーパスを意識する機会があった。

・自分の好きなことは何か
・自分が情熱を持てることは何か
・その上で自分は仕事にどのような意味を見出すのか

過去は会社で高い地位につき、パワーと権限を行使できることが人を動かすことが自己実現だと思っていた。そのために転職をしたが、極めて狭い思考だて気づかされた。


今、多様な価値観の中で働き、ボランティや学び直しで大学院に入ったことで多くの方と出会い、パーパスについて改めて考えるとパワーと権力を得ることで自分が幸せなかのかと思うようになった。社外のコミュニティは、会社にいると気づかない格差に気づくことばかりだった。学びたくても学業を続けられない人、十分に義務教育さえも受けられずにいる人、日本で働くことを希望して日本に来たものの、言語や労働環境、周囲の理解の欠如で国内で就業することのハードルの高さ、若者とシニア、ジェンダー、地域、ナショナリティ…当たり前だと思っていた社会環境整備が整ってない、必要な人に最低限の情報が行き渡っていないことに気づいた。私は自分の目の前の社会課題にとりくみ、そのギャップを少しでも埋めることに大義を感じる。民主主義国家に生まれてもこんなにも壁があるのかと実感をしたが、社会活動をしなかったらそれさえも気づかず、転職先で定年をしていたかと思う。

『働くことのパーパス』では、パーパスを考えるきっかけとして、誰かを助ける自分を超える貢献、人への学びの機会、何かを成し遂げ人に認めてもらうことへの達成感、周囲からの承認欲求を実現するステータス、パワーの行使、コミュニティへの帰属意識、自分の提案が承認されたなどといった変化や影響への手応え、裁量権を持つことでの自律性が記されている。

私にとってのパーパスは自分がパワーを持つことではない。世代、地域、ジェンダー、国籍を超えて少なくても自分の周囲の人にパワーとパーパスへの気づきを与えることだと気づいた。周囲の笑顔を大きな輪にして社会に返すこと、社会ギャップを埋めるブリッジになることである。

パーパスは持つべきか、持たなくても良いかと聞かれたら、「YES」と即答するが、パーパスだけをコミットメントしてもそこにどうやって辿り着くのか、自分がそのために何をすべきか。パーパス実現のためのハシゴを明確に持たねば意味がない。自分自身、社会課題にむかい、どうやって梯子をかけていくか、どこから手をつけるか考え、行動しなくてはならない。

パーパスは社会環境や自分が直面している環境、個人のライフスタイルの変化で変わることがあるが、今していることと将来の目標が関連していると思え、自己肯定的に生きることができれば、集中力が高くなり自らを楽しむことができる。心理的な幸せを達成すると、最高のパフォーマンスを出すことができるという。さらに、精神的に滅入ることも少なくなるらしい。


#日経COMEMO  #あなたの個人パーパスは

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