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言い訳

なんと1ヶ月も、すっかりnoteのことを忘れていた。案の定「継続」という2文字は私の中に無いな、と笑えてくる。

さて最近、姑は説明が多い。それも肝心な部分は忘れての「自分の気持ち」の説明だ。ずいぶん前の「気持ち」から始めるので、何のことか見当がつかないのだが、要するに「昨日ただいまと言ってくれなかった」とか「できなかった」ことへの不満や言い訳だったりする。

子どもの頃、行動には持論(言い訳)があって、どうして成績が落ちたのか、どうして片付けをしないのか等々、親が認めてくれないと反抗していたものだが、いつの頃からか「言い訳している」という自覚が生まれ、恥ずかしさと自責の念で話途中で黙り込むようになった。思うに、言い訳する誰かが存在しない。天に向かって唾を吐いているようなもので、人に依存せず自立したのだろう。

「言い訳=依存」と考えると、色んなことが当てはまるような気がしてくる。子どもを虐待して「しつけ」と言い、仕事を選り好みして「経済が悪い」と言う。努力せず「隣の芝生」を羨んで、ネットに無記名で誹謗中傷を書き込み、食品で遊ぶ動画を上げる。責任を問われると「大事になるとは思わなかった」「バイトがキツかった」であり「考えが無かった」「悪いことをした」では無いのだ。

これをまた、正当な理由のように報道するメディアがいて、それに物申す少々強めのキャラクターがいると「ご意見番」として崇め、全メディア右習えも如何かと思うけど、それはまた違うテーマになるので、いつか。

そもそも姑の言い訳は、今に始まったことでは無いから、彼女には依存する誰かが必要なのだろうし、年齢的にも今更いたし方ない。自立してると思い込んでる...のは、幸せなのか厄介なのか、とりあえず自分は「言い訳」しないよう気を付けなきゃ...と思う。

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