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【序文5,600字を大公開】 4月5日に自著「メタバース -さよならアトムの時代-」が発売されます

 メタバースとは何か?
 僕はメタバースとは、人類の描いた夢の生活スタイルのことだと考えている。

 メタバースという言葉が話題になったきっかけは、2021年にフェイスブック(Facebook)のマーク・ザッカーバーグが「メタバースを作る会社になる」と宣言したことだった。彼はその覚悟を示すかのごとく、自身が創業し17年間慣れ親しんだ社名をメタ(Meta Platforms)に変更した。
 ITビジネスが次にめざすべきはメタバースである──多くの人がそう考え、今、まさにメタバース・ブームが到来して狂喜乱舞の様相を呈している。ニュースでメタバースという単語を見ない日のほうが珍しくなってしまった
 しかし、メタバースとは何か? という素朴でシンプルな疑問に、自信を持って答えられる人は少ないのではないだろうか。
 メタバースという言葉の出どころは、ウェブで検索すればすぐに出てくる。ニール・スティーヴンスンというSF作家が『スノウ・クラッシュ』という小説で使用したのが始まりだ。出版されたのは1992年、僕がこの本を執筆している現在からすれば30年も昔のことだ(日本では1998年に翻訳された)。コンピュータによって生み出された3DCGの世界を闊歩することのできる近未来が描かれた作品だ。
 ただ、実のところ、メタバースという言葉の出どころや定義は、正直どうだっていいと僕は思っている。
 本当に重要なのは、メタバースという言葉が「人類のめざすべき場所」として大々的に掲げられた今、何を作り出さないといけないのか、何を整備しないといけないのか、何を成し遂げないといけないのか、みんなで侃々諤々に議論することのはずだ。

 僕がこの本を書こうと思い至ったのには3つ理由がある。
 1つは、僕自身がメタバースをビジネスにしていて、メタバースのことをもっと世間の人たちに知ってほしいと思ったから。
 僕の会社が運営するメタバースプラットフォーム「クラスター(cluster)」は、ポケモンやディズニーといった世界に誇るIP(知的財産)に使ってもらった実績があるなど、国内最大の規模を誇っている。今回のメタバースがブームとなる以前から、ずっと事業を展開していた。僕以上に今回のブームについて「ど真ん中」から語れる人間はいないと自負しており、だからこそ今回、こうやって筆を取らねばならないという使命感に駆られた。
 もう1つは、これを機にメタバースの歴史を整理したくなったということ
 メタバースという概念は、ニール・スティーヴンスンが小説に書く以前から、漠然と人類のなかにあった夢や思想が形になったものだ。メタバースについて人類がどんな夢を抱いてきたかを整理することで、これから人類の行き着く先を見通せるようになるはずだ。
 最後の1つは、メタバースについて、僕が感じている危機感だ。
 現在メタバースはブームとなっているが、これが一過性の盛り上がりで終わってしまうのは非常に惜しい。
 勘違いされがちだが、技術発展というものは、放っておけば勝手に起こるものではない。未来を創る人々による毎日の頑張りが、技術発展をもたらすのである。そして今回、人類のめざす夢が「メタバース」という単語でひとくくりにされ、大量のヒト・モノ・カネが動き始めたのだ。たとえこのブームは過熱気味だと批難されようとも、このトレンドを簡単に縮小させてしまって、結果的に世の中に何も残らないのだとしたら、それは人類にとっての損失と言っていい。
 同時に、メタバースに対して誤解があるとしたらその誤解を解いておきたい。メタバースには大きな可能性があるだけに、その可能性を狭めてしまうことを恐れているのだ。

 さて、本編に入る前に、少しだけ僕の話をさせてほしい。
 僕はひきこもりだった。
 具体的には2012年から2015年まで深刻なレベルでひきこもっていた。コンビニの店員くらいしか人に会うことのない生活を終えて起業したのが25歳のときだ。
 物心ついた頃から、僕はいわゆるオタクだった。
 寝ているとき以外、時間の許す限りあらゆるジャンルのアニメ・漫画・ゲーム・小説などをむさぼるように摂取していた。特に、『機動戦士ガンダム』シリーズが大好きだった。宇宙という人類にとっての未知の領域に熱狂していたし、中学時代には将来はアナハイム・エレクトロニクスのような会社で働きたいとわりと本気で考えていたくらいだ。京都大学の理学部に入って物理学を専攻したのも、ガンダムの世界の舞台である宇宙を研究したかったからだ。
 同時に、僕はプログラマーでもあった。
 プログラミングを覚えたきっかけもガンダムだ。中学二年生のときの僕は『機動戦士ガンダムSEED』にハマっていた。この作品の主人公キラ・ヤマトに憧れて、本屋にプログラミングの本を買いに走ったのが始まりだった。

 そんな僕が、「物理現象を計算機によってシミュレートする」という研究手法に惹かれたのは必然と言える。
 もともと宇宙の研究がしたくて大学に入ったのだが、当時の同級生に量子物性分野のゼミに強引に誘われたので、まあちょっとくらいならと顔を出してみると、存外に面白くてハマってしまった。そのラボはテーマとして量子コンピュータも扱っていたのだが、そのような中二病心をくすぐるテーマに食指を動かされないわけがなかった。
 気がつけば、卒業研究を掛け持ちして、卒論も2本書いていた。
 ちなみに、同じ物理学といえども、宇宙と量子物性は実はけっこう遠い。離れた分野を同時に研究することになったわけだが、僕が用いた研究手法はどちらの分野でも同じだった。すなわち、計算機によるシミュレートである。
 従来の物理学の研究のように、紙と鉛筆だけで理論を構築したり、機材を組んで実験したりするのではない。スーパーコンピュータを用いる研究フィールドだった。
 こうして、大学での研究時代に「現実」を計算機によってシミュレートしていたことは、現在僕が事業としてバーチャル世界を構築していることに通じているし、メタバースの未来や人類にとっての意義を考えるにあたって、思想形成の礎となっている。

 大学院に進んだとき、悩んだ挙げ句に、僕は宇宙を選ばず量子コンピュータを研究する道を選んだが、同時に、もう1つのことで悩んでいた。
 僕の見たい世界が、アカデミアでの研究という手法では遠回りではないかと薄々気づき始めていたのだ。
『機動戦士ガンダム』シリーズのように、人間が宇宙に生活圏を拡大した世界。ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』や、士郎正宗の『攻殻機動隊』のように人間がコンピュータに接続した世界。どちらも僕が生きているうちに絶対に見たい世界なのであるが、日々の研究からは遙か先にあるように感じ始めてしまっていた。
 結局、大学院は1年経たずに辞めてしまった。
 それからはアパートの部屋にひきこもり、高等遊民のような生活をしていた。ちょうど急速にモバイル・コンピューティングが進んだ頃で、スマホのおかげで生活費を得ることもできた。スマホのカジュアルゲームが全盛期を迎えていて、2012年から2015年にかけて、プログラミングでけっこう稼げたのである。エネルギー補給としての食事ができて、書籍を購入できさえすればよく、別に贅沢な生活をする習慣があるわけでもない。京都の6畳の安アパートで独り暮らしをしていたので、受託して2、3週間かけて独りでアプリを作れば、そのお金で数ヶ月は過ごせた。

 3年間のひきこもり生活がどうだったかというと、端的に言えば、いたって快適だった。インターネットがこれだけ発達した現代だ。ほしい情報は検索すればすぐに手に入る。ほしいものはECサイトで買えば玄関先まですぐ届く。友人や知人たちとはSNSで常につながっている。動画やゲームといったエンタメにも困らない。PCひとつあれば仕事はすべてリモートで完結する。 
 外出する必要なんて、本当にどこにも存在しなかった。
 インターネットの世界にどっぷりと浸かるこの生活スタイルは、コロナ禍によってあらゆる人類が強要されるようになったが、僕は先取りしていたわけだ。とはいえ褒められた生活スタイルではなく、実のところ1つだけ強い苦痛を感じていた。
 自分の身体が邪魔だったのだ。
 生命体の定めとしてエネルギー変換の必要が生じる(つまり腹が減る)し、排泄行為からは逃げられない。適度に運動しなければ身体にガタが来る。
 加えて、SNSやオンラインゲームで他者と常につながっているとはいえ、対面で会ったり集まったりしたときの、情報量の多さというか、生々しさというか、場の熱狂感とも言えるものが徐々に恋しくなってくる。好きな声優の音楽ライブに参加したい。コミケに参加したい。イベントに参加したい。
 この感覚はコロナ禍を経験した今、多くの方に共感してもらえると思う。
 現存のインターネット体験には、身体性(身体感覚)が欠如しているのだ。
 インターネットはあくまでもインフォメーションのテクノロジー。やりとりするのは情報だけだ。そこにはフィジカル(身体)やエクスペリエンス(体験)がなかった。

 そんなモヤモヤを抱えながらひきこもっていたとき、2014年にフェイスブックがオキュラス(Oculus)という会社を買収したというニュースが飛び込んできた。オキュラスはVR(バーチャル・リアリティ)のデバイスを作っている会社だ。
 新しいもの好きな僕はすぐに開発機を取り寄せたのだが、そのデバイス──VRゴーグル──をかぶってみてびっくりした。その瞬間に、6畳の部屋とは異なる、新しい空間が創造されたのだ。
 今まで味わったことがない没入感がそこにはあった。
 インフォメーションしか乗っていなかったインターネットに、エクスペリエンスが乗る時代が到来するのだと直感した。

 さっそく大学の後輩でもある友人にVRゴーグルをかぶせて、「これで家から音楽ライブに行けるようになったらすごくない!?」と熱く語ったのが、僕がメタバースを事業にする始まりだった。この友人というのが、僕が経営しているクラスター株式会社の共同創業者でCTO(最高技術責任者)、田中宏樹だ。彼を筆頭に、優秀な開発メンバーたちに恵まれて僕たちはメタバースのプラットフォーム「クラスター」をローンチし、初めてVRゴーグルをかぶってから4年後の2018年には、家から参加できる世界初の商業VRライブを提供するに至った。
 そして現在まで様々なバーチャルイベントを開催し、さらにはクリエイターのための開発キットを公開してバーチャル経済圏を形成しつつある。

「クラスター」を運営していて感じたこと。
 それはメタバースには圧倒的な夢があるということだ。
 物理的な制約に縛られた現実に対する絶望感や無力感を解消する別世界として、これまで多くの人たちによってメタバースが語られてきた。
 以前は夢物語でしかなかったが、今ではその夢が実現しようとしている。いや、すでにその一部は実現している。
 しかしメタバースをどのような世界にしていくかはこれからだ。
 ディストピアとしても語られがちなメタバースが、本当に人類の描く夢として実現するためにも、大いに議論していかねばならない。そして、そのためにはみんながその理念を理解する必要がある。こうして本の形にまとめたのも、メタバースについての正しい情報を共有することで、多くの人にメタバースに参加してほしいという願いからだ。

 本書は以下の6つの章から構成されている。
 まず第1章では、メタバースという言葉の定義や来歴、成立するための条件など基本事項を確認しつつ、メタを含む主要3社の動向を紹介する。
 第2章で書いたのは、メタバース市場の構造やそのプレイヤーと言える多様な企業に関して。話題の「NFT」や「Web3.0」の解説にも紙数を割いた。
 第3章は視点を引いて、よりマクロな人類史的観点からメタバースを考えてみた。この章で〝アトム(物質)から解き放たれる〟歴史の転換点を感じてもらいたい。
 第4章ではVR技術の歴史と展開を簡潔にまとめた。
 第5章では、まずクラスター社のビジネスをケーススタディとして提示し、さらに今後メタバースでどのようにお金が動くかという新しい経済のあり方を検討している。
 そして最後の第6章では、より遠い「未来」でメタバースが及ぼす影響を考察した。加えて、日本がメタバース時代に発揮できる独自の「強み」についても記している。

 読者のみなさんがこの本を読んで得られるものは何だろう。
 メタバースについて知ることができる──イエス。
 では、なぜメタバースについて知ったほうがいいのだろうか。
 メタバースはこれから私たちの社会や経済、いや、生活そのものを覆い尽くす大きな波になる。誰もが無関係ではいられない大きな変化なのだ。
 思い出してほしい。
 私たちの生活はiPhoneの登場によって大きく変わった。今やスマートフォンがない生活は考えられないだろう。
 iPhoneが登場する前に、こんな状況を想像できた人がどれだけいただろう。
 同じような変化、いや、もっとすごい、大きな変化がこれから起こる。
 スマホに象徴されるモバイルプラットフォーム全盛期が今だとすれば、次の世界はどうなるか。
 次にやってくる大きな変革。それがメタバースだ。本書を読むことでその変革を実感してもらいたい。

 メタバースを理解するということは、次の時代に備えるということであり、次の時代のチャンスをつかむことに他ならない。
 僕がめざしているのも、次の時代のコンピューティング・プラットフォームを作るということだ。
 みなさんは来たるメタバースの時代にどんな夢を持つだろうか。

(※ 続きは2022年4月5日発売の本書をお読みください)


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