うらやましい、という原動力
ぼくが代表をつとめる会社が、7月7日に5周年をむかえた。
どういう5年間だったかというアウトプットベースの軌跡は、うちのCOO兼CFOが振り返ってくれたので、興味ある人はぜひ読んでみてほしい。
クラスター社を知らない読者のために簡単に自己紹介しておくと、弊社は「バーチャルプラットフォーム」の開発および運営をしているスタートアップだ。
非常勤やインターンを含めると現在40人ほど。
主な収益源は法人向けのバーチャルイベント。
そこで稼いだ分のすべてを、クリエイターのためのプラットフォームに投下している。
世界に目を向けると「バーチャルSNS」にトライしている or した事例はたくさんあるが、バーチャルイベントをキャッシュエンジンとすることでビジネスをうまく成立させているところは、弊社以外には思い当たらない。
あるべき未来の姿を信じて、この世になかった市場をゼロから切り開くという、客観的に見てもマゾヒスティック極まりない挑戦をしてきたわけであるが、われながら死ぬことなくうまく形になってきたなという気持ちが1割、まだまだこれからだなという気持ちが9割といった感じである。
「ポジションを定めて長く居座り続ける」ことそれ自体が生存戦略たりうるのだということも、近ごろ肌感を持って理解できてきた。
ひとつの市場でそこそこ粘り強くやっていると、近隣のプレイヤーたちが志半ばで折れてひっそりと離脱していくというのを少なからず見てきたし、その数に比例するかのごとく、
「その忍耐力はどこから来るのか」
「いったいなにが原動力なのか」
と聞かれることも多くなってきた。
たしかに、ぼくは自分自身が “続けられる性格” だということに対してとても自覚的だ。一度「続ける」と決めたことに対しては、自分でも呆れるほどにあきらめが悪い。
生まれ育った環境など、後天的な影響が強いのだろうけれども、これだという答えが自分の中に無かったがために質問に対して答えに窮していたのだが、5周年という機会をもって、あらためてぼくという人間を紐解いてみようと試みた結果、この “続けられる性格” の根源は「うらやましい」という感情ただ一点なのではなかろうか、という気づきを得た。
そう、ぼくの内部には、恒常的に「うらやましい」という感情が渦巻いているのである。
べつに、他の人に比べて嫉妬深いだとか、ルサンチマンの権化として生まれてきたとか、そういう主張をしたいわけではない。
「うらやましい」という個人的な感情が、個人的な思考回路をもって、個人的な原動力となっているという、すなわち、あまり一般化できそうにない話をしている(なので、この文章を読んでくれている方のうち2〜3人でも共感してくれたら嬉しい、くらいの気持ちで書いている)。
そもそも、単にうらやましいと言っても、他者と自己をどのように比較して、どのようにうらやましいと思うかは、各々が人生において「なにが好きか」「なにを大事にしているか」という物差しの置き方に依存する、ローカルで相対的な事象だ。
それがゆえに、一般化して議論することがとても難しいのだが、裏を返せば、ぼくが普段どういったことをうらやましいと感じているかを説明することは、ぼくという個人が人生において「なにが好き」で「なにを大事にしているか」を說明することに他ならないし、その人生観をベースとしてアウトプット(クラスター株式会社)があるのだから、5周年を記念した文章としてふさわしいだろうと思いこうして筆を執った次第である。
そういう観点に立つならば、なにはともあれ、好きなものについて語るべきだろう。
端的に言えば、ぼくは “人工物”が好きだ。
人間の生み出すアウトプットに対して、そこに人間の意思が介在していることが感じられれば感じられるほどに、醜美を問わず尊さを感じる。
緑あふれる大自然よりも、どちらかというと、無機質なビルの立ち並ぶ風景に心を動かされるタイプだし、自然に生きる動物たちの神秘をクローズアップしたドキュメンタリーよりも、最先端技術の特集番組の方が観ていて興奮する。
形で言うなら、丸いモノより四角いモノに、より本能的に惹かれやすい(直線で構成された構造物は不安定なため自然界に形成されにくい)。
根本的に、アウトプットの主体としての人間が大好きなのである。
人間の可能性に触れるときが、人生においてもっともエクスタシーを感じる瞬間だ。
人間の想像力(イマジネーション)は本当にすごいと思うからこそ、SFなんかは好んでよく読むし、人間の創造力(クリエイティビティ)は本当にすごいと思うからこそ、伝記なんかも好んでよく読む。
いま当たり前になってる理論・技術・文化が、たったひとり、ないしは少人数のチームの発想・尽力に端を発し、コラボレーションの連鎖が巻き起こって形成されていったという類いのストーリーなんかは大好物だ。
しかし、だからこそ、その “裏返し” として、偉大な功績を残した人物の伝記や、偉大な業績を残した会社のストーリーなんかを読むと、「感動する」以上に「うらやましい」という感情が身体の内側を駆け巡る。
具体例は枚挙にいとまがないが、たとえば、ぼくの身を置くIT産業でいうならば、
SNSやメッセンジャー・動画など、アプリ勃興期に渦中で戦っていた人たちが死ぬほどうらやましくて仕方がないし、
ECやポータル・検索など、インターネット勃興期に渦中で戦っていた人たちが死ぬほどうらやましくて仕方がないし、
PCや半導体チップ・OSなど、パーソナルコンピュータ勃興期に渦中で戦っていた人たちが死ぬほどうらやましくて仕方がない。
そう、ぼくが「うらやましい」と感じるのは、基本的にある特定の他者に対してではなく、その人が生まれた時代に対してであり、そしてその時代において "チャレンジ権" を得ていた人たちに対してだ。
特定の挑戦に対して、そのチャレンジ権を得るには(手垢にまみれた比喩を用いるならば "バッターボックスに立つ権利" を得るには)、「時間」すなわち「タイミング」というどうやっても抗うことのできない要因が立ちはだかる。
たとえば、PC市場を立ち上げる挑戦権を得る人生は、生まれながらにしてぼくには与えられてはいなかった。
どうしようもないがゆえに、
どうしようもないほどに「うらやましい」のである。
だからこそ、ぼくは人生において「タイミング」というものをなによりも大事にしている。
タイミングを逃さないための「待ち」ならば、苦痛を感じるなんてとんでもない。むしろ、網を張ることができていることに対する喜びが勝るくらいだ。
それこそが、ぼくの忍耐力の源であり、"続けられる" 原動力にほかならないのだろう。
(余談ではあるが、コロナの影響が強くなりはじめた今年3月にclusterの大規模アップデートをリリースできたことに対して、様々な方から「タイミング最高だったね」と言っていただけているのは、ぼくにとってはなによりも嬉しい言葉だったりする)
よくよく考えてみれば(よくよく考えるまでもなく)、いまの時代だって、未来の人たちから見れば相当に「うらやましい」時代のはずだし、最高の「タイミング」なはずなのである。
なんたって、全人類がその人生のほとんどを過ごすことになるであろうバーチャル経済圏およびエコシステムが、近い未来に確立されるのは確実であるにも関わらず、現時点では “まだ実現されていない” のである!
数年〜十数年後にいまを振り返って「あのときが最高のタイミングだった」と評されるのは火を見るよりも明らかだ。
(※ もちろん、その他の産業や技術においても、現代は常に最高のタイミングだ)
生活空間がデジタル化されていく流れは、3D技術アセット的にも生活様式的にも当然ながら、ゲーム産業を爆心地として急激に加速している最中だ(コロナ禍でさらに加速された)。
10年前のゲーム人口は数億人のオーダーだったが、いまや人類の半分がゲームをするようになった。
中高校生たちが放課後にFortniteやRobloxに集まってだべりながら勉強している光景は、驚くべきものでもなんでもなくて、すべての世代における未来の当たり前の生活スタイルでしかない。
マルチプレイ、クロスプラットフォームは当たり前、さらにはコンテンツ生成の民主化(ユーザーみんなで世界を作り上げていく流れ)もどんどん加速している。
先に挙げたFortniteやRobloxを例にとると、2020年の現時点において、ゲームという文脈から生まれた単一バーチャルプラットフォームが抱えるユーザー規模は数億人前半なのだが、このカテゴリから2030年までに1B(10億人)のオーダーに達するプレイヤーが出現するのはもはや必然であろう。
流れは必然、さらには技術アセットや人類のリテラシーといった必須条件もそろっている。にも関わらず、理想のプラットフォーム、もとい理想の生活スタイルは “いまだに実現されていない” 。
そんないまこの瞬間が最高のタイミングでないわけがない。
人類の挑戦の歴史を知るごとに、「うらやましい」という気持ちでのたうち回りながら、ぼくは毎日こう妄想するのだ。
生まれてくるタイミングが悪かったという、ただそれだけのために挑戦権を得ることの出来なかった未来の革命家たちが、いまのぼくの奮闘を振り返って、「うらやましい」とのたうち回ってくれるのだろうと。
令和に生まれた子どもたちは、20年後のいまごろ、大学のギーク友だち数人で集いながら(もちろんバーチャルプラットフォーム上に!)、
「あ〜あ、おれたちも20年前にスタートアップ立ち上げてチャレンジしたかったよなあ!」
なんて悪態をついているに違いない。
この最高のタイミングでこの世に生を受け自我を持ち、
この最高のタイミングに仲間たちとパーティーを組み、
この最高のタイミングに挑戦することができるなんて、
いったいどれだけ幸運なことか。
そして、この文章をここまで読んで、
「なんだそれ。わたしは全然挑戦できていない」と思ったあなた。
「バーチャルプラットフォーム!? おれも混ぜろよ!」と思ったあなた。
繰り返すが、いまこの瞬間が最高のタイミングでないわけがない。
サポートありがとうございます。いただいたお気持ちはすべてクラスター社のおやつと、ぼくの次の文章を書くモチベーションに変わります。