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東京都杉並区高円寺(仮)②

こんばんは。なめ茸です。大掃除を終えました。サッパリした家の中って良いもんですね。とりあえずもうしばらくは込み入った掃除をしなくていい。そんな安心感に包まれております。

noteです。前回の続きです。とはいえ書き始める前に懸念していることが2つほどありまして、
1つ目は、いま完全に頭の先からつま先まで冬休みモード。全身フル弛緩状態でぜんぜん頭が働いていないこと。
そして2つ目は、前回で”note書きたいリビドー”をほぼ放出しきってしまったため、惰性で書き始めていて第二章の着地点が定まっていないこと。
つまり前回に輪をかけて締まりのない文章になっております。すんません。
いいよね。無料だし。恐れ入ります。宜しくお願いいたします。

『前回のあらすじ』


2008年夏。都会に憧れ高円寺で一人暮しを始めたなめ茸(23歳)。
しかし念願の自由は寂しさと隣り合わせだった。
友達いない、彼女もいない、風俗で散財、これじゃイケないYo(チェケ♪)
「人生を”オ”ウ”ゥ”、変”え”だい”!!」
そして満を持して参加したmixiの高円寺コミュニティのオフ会にて、将来の妻となる女性に出会ったのだった。


『ライク ア ローリングストーン』


2009年2月。季節は厳冬だが、僕の心は春の陽気を得たようにあたたかだった。
浮かれていた。完全に浮かれていた。
何しろ友達といえばPCとプレステだけ、毎晩一人でラーメンか定食を掻き込んで冷たい部屋に帰る生活が、オフ会を機に一変。毎週、ともすると毎晩のように誰かしらから飲みの誘いが入り、商店街の安居酒屋やカラオケでドンチャン騒ぎの日々が始まっていたのだ。
面子はもちろん、オフ会で知り合ったmixiの高円寺コミュニティのメンバーだ。20代半ば以降~30代前後が多く、自分は最年少の部類でまぁまぁ可愛がられるようになっていた。
楽しかった。とにかく楽しかった。飲みがない日も、mixi上でとめどないやり取りなどを重ねて戯れていた。
当然、そのメンバーのなかには女の子もいる。さらに、繋がりで合コンにも誘われるようにもなる。仲間がいて、賑やかで、少しときめきがあって……。まさに、求めていた理想の高円寺生活がそこにあったのだ。

代償はあった。
まず生活が乱れに乱れた。
当たり前だ。強くもない酒を連日、明け方まで飲みあかしていたらそりゃ翌日仕事にならない。むしろ寝過ごす。遅刻する。そんな機会が増えていった。
夕方まで気を失っていて、起きたら携帯の着歴が酷かった。そんなことも1度や2度あった気がする。完全にダメ会社員だ。
新人時代に目をかけてくれた上司がこの行状を見かねて僕を呼び出し「お前はもうダメだ」と喫煙室で狭小邸宅の松尾君ばりに宣告を受けた時も、全く堪えなかった。なにしろ松尾君は仕事にプライドを持っていたが、僕はまったくそういった類は持ち合わせていなかったのだ。高円寺での刹那的な青春生活にしか目が向いていなかった。
それくらいタチの悪いハマり方を、あの頃の僕はしていた。

そしてお金だ。
一人暮らしを始めた段階から決して財政状況は楽とは言えなかったが、飲み歩くようになってあっという間に貯金を切り崩すようになっていった。

転がるように日々を送るなかで、漠然とした不安は感じていたように思う。こんな生活はいつまでも続けられない。自分はもしかして、どんどん道を踏み外しているんじゃあないか。そんな事を考えた日もあった。
しかしそういった類の迷いは、酒を飲んで騒いで、ダメエピソードを笑いに変えて慰めあっているうちにまた有耶無耶になっていく。
一緒に飲んでいる仲間も、今振り返るとどこか欠けている人間が多かった。そうして皆で、互いを褒めあったり慰めあったりして自尊心を満たしあい、愉快に夜を送っていた。

とにかく、高円寺という街は、そしてそこに集う人々は、ダメ人間にとって居心地がいい。酒場で出会う人々はみな気がいい人ばかりだ。そしてみんなどこかだらしがない。
だから、この街はある種の人々を惹きつける。
頽廃的音楽が好きだったり、池井戸潤より中島らもが好きだったり、ファッションセンスがどこかズレていたり。表舞台には居場所を見つけられず過ごしてきて、しかし自分だけの日の当たる道が欲しくて、だがそのくせ自己変革意識や生活向上意識は、決して高いとは言えない人間だ。僕はまさにそうだった。
そんな人間にとって、永遠に学生生活が続くかのような高円寺の暮らしは、何とも甘く居心地がよかった。

後に結婚や転職、失恋等を機にして高円寺から転居した知り合いの多くは、阿佐ヶ谷や荻窪、はたまた三鷹など、JR中央線沿線でも生活を志向する街へと移っていった。まるでモラトリアムから卒業するように。
高円寺には夢見人だけが残った。夢からは醒めた。しかしその甘い残滓が、忘れられない人々が。
そうした人々が腐葉土のように街を成し、ときにあらたな落葉を取り込みながら、高円寺という特殊な文化風俗圏の土台を作っている、と体感的に感じている。あながち間違ってもいないと思う。

話が逸れた。
とにかく僕は転がっていた。浮足立って、先も見通せず、ただ毎日を楽しく享楽的に飲み騒ぐ生活を送っていた。


『市川実和子』

同年3月~4月。
年初のオフ会は60名ほどの大人数だったが、飲み会を重ねるうちに何となく相性の良い人同士が集まるようになり、この頃はそれぞれ10名程度ずつのグループのようなものに分かれつつあった。
自分がよく誘われるグループにはだいたい固定で女性が2~3人程度いて、そのうちの1人は、初回のカラオケで隣に座った派手な金髪の小柄な女性だった。

彼女は僕より年齢が2つ上だった。
詳細は省くがいわゆる”ギョーカイ”と言われる世界で長く仕事を続けており、見た目通りの押しが強く男勝りな性格だった。よく幹事役の40代の男性と口論をしていた。

ハッキリ言って、顔はかわいい方ではなかった。金髪にしている理由が「YUKIに憧れているから」だったらしいが、YUKIとは似ても似つかない。
カエル顔で、どちらかといえば似ているのは市川実和子だ。こういうと市川実和子に対して失礼な気がするが、当然市川実和子は女優だけあって美人だ。それはそうだ。市川実和子に非はない。つまり、顔の系統の話をしている。市川実和子を150cm程に縮めてド金髪のボブカットにし、顔のパーツをもう少しアレしてどうにかすれば当時の彼女だ。
面倒なので、以降は彼女のことを実和子と呼ぶことにする

実和子はその苛烈すぎる性格が原因で、とにかく色々な人と衝突していた。オフ会メンバー、職場の先輩、上司、親、当時の彼氏。等々…。
衝突の度に飲みが招集され、その愚痴を聞かされながら、酒を交わしつつ皆でまぁまぁとなだめるのが定番の風景だった。
一番酷かったのは当時の彼氏に「俺は安田美沙子似の美人と付き合いたいんだ。別れてくれ。」と言われて破局した時で、その時ばかりはわんわんと大泣きする彼女を、皆で慰めたり励ましたりした。

その後、実和子は唐突に婚活を宣言し、「結婚を前提としたお付き合いができる人と出会う」と言って様々な人とサシで飲む機会を設けたいと言い出し、流れでなぜか僕も飲むことになった。

居酒屋で、初めて二人きりで飲み、落ち着いてお互いのことを話す。彼女の話は仕事のことばかりだった。
実和子の仕事は現場職で、僕の何倍も、体力的・精神的にキツい仕事だ。その割に給料は安い。しかし彼女は、猛烈に高いプライドと妄執ともいえる責任感を持ってその仕事に取り組んでおり、離職率のめちゃくちゃ高い男社会をサバイブするだけでなく、若いながらに一定の評価もされていた。
「やんなきゃしょうがないじゃんね」と彼女は言った。「あたしは絶対に自分の関わった作品では完璧な仕事を残したいし、誰にも見くびられたくない。人に謝るのが死ぬほど嫌だから、謝るような仕事をしたくない。
「あたしは適当な人間が嫌いだ。自分がこれだけ神経を尖らせて1つのミスも無いよう入念な仕事をしているのに、適当にやってミスしても笑っているような奴を見ると、無性に腹が立つ。その神経が理解できない。死ねばいいのに。」

僕はヘラヘラと笑いながら、吼える実和子の言葉を受け流していたが、内心はかなりのショックを受けていた。
自分とそれほど年の変わらぬ20代半ばの女の子が、鬼気迫るほどの執念を持って仕事に取り組んでいるその事実と、現状の堕落しきった自分との対比に。そして、彼女が毛嫌いする”適当な人間”こそが、まさに自分自身に当てはまることに。

その時から、僕には実和子に対する、ある気持ちが芽生えた。
それは恐怖と、敬意だった。

続く
(このペースだと延々とキリがないので、次回で無理やりにでも完結させたいと思います。)
(オチを先に言うようですが、僕と妻(=実和子)はこの後5月に付合いはじめ、翌年9月に婚約。さらに翌年(2011年)5月に入籍し、今に至ります。子供は去年4月に第一子の娘が生まれました。)


『高円寺 思い出の店(2009年上期編)』


最後にやっておきます。数回しかやらないんだからきちんとやりきりたい。


抱瓶
(高円寺では有名な沖縄料理屋。人気店で常に賑わっており、店内ではライブ演奏もよく開催されている。実和子と初めて二人で飲んだ居酒屋がここ。因みに彼女にも明かしていないが、『やれたかも委員会』に応募して採用されたエピソードで実際に使用した居酒屋もここ。モテない男はレパートリーがない)

●村さ来 高円寺北口店
(安定の安居酒屋。金のない高円寺民のオフ会は概ねここで開催されていた。2012年くらいに惜しまれつつ閉店。跡地にはカラオケ館が入った)

黄色い看板の中華屋(福利亭 新高円寺店)
(店名で呼ぶことはほどんどなく「今日黄色行こう」で通じていた。彼女の家の近くの中華屋。遅くまでやってる、安い、それなりにうまいで重宝した。因みに超余談ながら、オモコロで特集されたことのある『エロDVDに囲まれて酒が飲める居酒屋』は3軒ほど隣の並びにあったがのすぐ潰れた。そして全く関係がないが、萩原流行さんがバイクで事故をで亡くなった現場もこの店の超近所である。全く関係がないけど)

ハティフナット 高円寺のおうち
(ゆるふわ森ガールにウケそうな、作りこまれた雰囲気と世界観が魅力のカフェダイニング。ドンチャン騒ぎ期に安易に女の子を連れて行ったが、まったく口説けなかった。別の子で試してもまったく口説けなかった。モテない男は発想が貧困)

アール座 読書館
(上記同様に作りこまれた雰囲気と世界観が魅力の読書カフェ。これまた安易に連れて行っても全く口説けない。私語禁止だから当然である。ただ雰囲気は本当に良いので、一人で何度か使った。チャイティーが美味しかった。難点は木の椅子が固く、クッションはぺちゃんこなので1時間も座っていると尻が痛くなってくるところ)

ブルースカイ ※リンク先18禁
高円寺のピンサロはさくら組以外ぜんぶ地雷説(当時)を、実体験を持って僕に教えてくれた。探検隊は魔境の森の地下奥深くで、ハダカデバネズミの化身と対決した。)

以上です。



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