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人生を泳ぐ

「生きるとはどういう状態なんだろう?」
ずっと以前から考えていました。
20歳になった今の私なりの考えを書こうと思います。

生きる事と泳ぐ事は似ている

これは恐らく万人からの共感は得られないでしょう。
まず、大前提として私は泳ぐ事が嫌いです。苦手です。
そして生きる事も苦手です。
そのためこの様な考えに至ったのだと思います。

泳ぐ
終わりが見えない、息継ぎが上手く出来ない、泳ぎたくないもうやめたいと思っても強制的にさせられる、泳がなければ怒られる

私にとっての「泳ぐ」は上記の様なものです。

とは言っても「強制される」「怒られる」のは小学生の頃の事です。
私はだいぶ田舎の出身ですので、田舎特有の教育なのか〝みんなが出来ているのだからあなたも出来る様にしなさい〟という方針の元、この様な事を言われたのかもしれません。

ですが小学生の頃の記憶といいますか、トラウマは何年経っても褪せる事無く私の中に残り続けています。

生きる
終わりが見えない、上手く必要なモノを摂取できない、もうやめたいと思っても中々やめられない、生きるのをやめたら怒る人がいる

私にとっての「生きる」とは上記の様なものです。

泳ぐと生きるの共通点

<1つ目の共通点>
私が泳ぐのが嫌いなのは、「大量の水が怖い」からです。
プールですら広く感じます。海なんて論外。
広くて沢山の人がいる。

生きる、というのは社会やら自分の身近な環境に身を置くことが前提だとおもいます。
それらの環境はとても広い。
そして沢山の人がいる。

つまり、
広くて沢山の人がいる


<2つ目の共通点>
これは
息継ぎが上手く出来ない
という点です。

泳ぐ時の息継ぎは酸素を摂取するためです。
酸素は人間には必要不可欠なものです。

生きる事においての〝息継ぎ〟とは何か。
泳ぐ時と同じだと思います。
必要不可欠なものを摂取する。

今の私にとっての生きる事と泳ぐ事の共通点はこの様なものです。
ですが、泳ぐ事(生きる事)が得意な人もいるでしょう。
その様な人たちは、
広くて沢山の人がいることが不快ではなくて、息継ぎも上手く出来ていると思います。
そのため、私は「生きること」が苦手故に上記の様な考えに至りましたが、
「生きること」が得意な人にでも、泳ぐことが生きることに似ているという点では普遍的なものだと思います。



冒頭で書いた様に私は泳ぐ事が嫌いです。
しかし「人生を泳ぐ」という事は状態として美しいと、素敵な事だと思います。


私の様に「人生を泳ぐ」のが苦手な人も沢山いるでしょう。
それに私以上に泳ぐのが苦手な人も。
それでもどんな泳ぎ方でも、息継ぎが上手く出来なくなってしまっても泳ぎ続けた人は美しいのだと思います。
私も私なりにまだ泳ぎ続けようと思います。
この文章を読んでくださった方も泳ぎ続けたから、この文章を読んでいるのでしょう。

上手く泳ぐ事のできる方も、泳ぐ事が苦手で不格好な泳ぎ方をしている方でも私はとてもとても美しいと思います。
息継ぎが上手く出来なくなる時まで、美しくあり続けましょう。







因みにこの記事の画像は空です。
海や川が苦手故に空にしちゃいました。




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