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子供の言葉がマイナーチェンジを始めた。

二歳になってすぐに話し始めたけれど、言葉が増えていないと思っていた。日記を見てもそんな感じだけど発音に関してはマイナーチェンジをし始めていると気が付いたので、ここに記す。

言葉の変化の例

あがりぼーちぇ、して→ポニーテル

おなかいっぱいいっぱいよ→おなかいっぱいになった

くましゃん→くまさん

めめしゅった→あめ降った

ありあと→ありがと

成長への驚き

衣替えをして、去年の80サイズの服を処分して、90サイズに入れ替えた。

90サイズの長いズボンがぴったりで驚いた。

相変わらず食は細いが、お好み焼きは食べるようになった。ほかに食べるものは、トマト、ごはん、パン、お肉。魚はシシャモをちょっとだけ食べた。

風船を「ぽーん」と言いながら打ち上げてキャッチする。一人ではやりたがらず、私がほかの用事をしていると、手をつないで連れて行こうとする。

一緒にクッキング

台所仕事をしていると、椅子をよいしょよいしょと運んできて、流しの前に置き、上って、私が料理するのを眺める。

そのとき、「たたご、わって」と言って卵を割るところを見たがる。

卵を持たせて、手を添えて一緒に割ってやるととても喜ぶ。鼻にしわを寄せて笑う。

そして「まぜまぜよ」という。お好み焼きは何度も作っているところを見ているので、手順を覚えているのだ。

その指示に従って、私が卵に菜箸を突き立てて、黄身を割ってからかき混ぜると、「まぜまぜ」と言いながら手を糸巻きの歌みたいにくるくる回す。

粉を入れて、水を入れると感心して「いれてー」という。

お好み焼きを片側焼いて、空中に舞わせてひっくり返すと「しゅごいしゅごいしゅごい、てってんしゅごい」と拍手しつつほめてくれるので私も鼻高々になる。

お皿にのせて運ぶと、椅子から降りて、座席によじ登って、前掛けをして、フォークとスプーンをもって静かに待っている。

そして、パパに「てってんしゅごい」と報告してくれる。

おままごとのときも、フライパンにおもちゃのハンバーグやみかんを飛び跳ねさせる。前は、炒める動きをしていた。今は、お好み焼きをくるっとひっくり返すときの真似をしているんだと思う。

好きなぬいぐるみ

今まではミッキーマウスのぬいぐるみを偏愛していたが、土曜日からはドキンちゃんになった。

その一年くらい前は、キラキラの入ったウォーターボールがないと眠れなかった。

ゼロ歳くらいの赤ちゃんを見て、抱っこひもで一歳の五月まで抱っこひもで保育園に通ったなと思いだした。

朝起きると「おめめしゅゆ」と言って眼鏡を取ってくれる。メガネは、ウォールポケットに入っていて、二歳の頃は手が届かなかったけれど、今はやすやすと手が届くので、大きくなったなと思う。

そもそも生まれたての頃比較したぬいぐるみのサイズを見てみると、二倍以上になったことがわかる。

おしりも大きくなって、掌に収まらない。

朝起きて、保育園に行くまで

朝起きたら、

「ABCみゆ」と言って、アルファベットの番組を見たがった。

みたいの?と聞くと、「うん」と言ってうなずいていた。朝はダメよ、というとちょっと拗ねていた。

寝起きが悪くて、起こしても布団から起き上がらずにごろごろしているのでそのまま着替えさせたが、灰色のグレンチェックのズボンを見せると、「かわいい」と言って喜んではいた。

今日は上はGapのユニコーン柄の紺のロンTにした。

寒いから、カーディガンタイプの上着を着せたら、保育園にすぐに脱いだ。

前が開くものは、外で着るものだと思っているのだ。そして、ボタンは全部止めてほしがる。

保育園についたとき先生が「暖かそうなの着せてもらってよかったね」と言ってくれた。

私は車の中にマスクを忘れてしまって、それを取りに戻ったら、一回保育園に入ったのに、抱っこのまま車に戻らされて、けげんな顔をしていたので、ちょっとおもしろかった。

車から保育園までは、危ないからいまだに抱っこで移動している。

靴は自分でも脱げるのに、親がいるときには脱がないので脱がせている。

保育園についたら、お手拭きとおしぼりをセットして、前掛けも一枚置く。前掛けは、八月までは三枚だったので、荷物が少なくなってちょっと寂しい。

寂しいといえば、トイトレが終わって、おしりが汚れなくなったので、きれいにしなくて済むようになってさみしい。これで、赤ちゃんとしてのイベントはほとんど終わってしまった。あとは、大人になるための準備をしていくだけだ。

今でさえ自立への道が、寂しいのに、大人になっていなくなってしまったら、空の巣症候群になるのは目に見えているので、今から趣味を作っていかないとまずいと思った。じゃないと、縋り付いてしまうかもしれない。

子供が生まれてから毎日楽しくて幸せになった。本当に生まれてくれて幸せだ。

子育てに対しての反省

子供がまとわりついて、ついイライラしてしまうときがあって、冷たい言葉、「勝手にしなさい」「好きにしなさい」をかけてしまったとき、前は、怒られていることがわからなくて、ころころ笑って手を伸ばしてきたのに、今は、涙をためてごめんね、というようになった。

私は本当に申し訳ないと思って泣きそうになる。二人で涙ぐんで抱き合った。小さな掌で背中をポンポンしてくれるので私もした。

細い肩と温かいおなか。

病院の先生には、冷たい言葉をかけてしまうということを相談した。

そろそろわかってくるころだから、子供さんのことはなんとかしないといけない、それは最優先にしなくてはいけない、集中力が切れるとイライラしやすいから、コンサータを試しに増やしてみよう、ということになった。

怒ってからすぐに「ごめんね」というとダブルメッセージになってしまって混乱させないか心配だという話をしたら、「子供は感度が高いから、たぶん伝わると思う。怒ってないことが分かったほうがいいと思う」と言ってくれた。

子供は親がいないと生きていけないから、生きるために必死で、親の望んでいることをする。親は子供がいないと生きていけないというけれど、生きていける。生きてしまえる。

子供の可愛さは、生き残るためにプログラムされていることだ、ということを病院の先生は言った。

私もそう思った。

私は親としてまずいことをしてしまっているので、反省するだけじゃなくて、どう防ぐか、その工夫を仕組みとして組み入れないといけないと思った。

子供が返ってくる前に、集中してやりたいことを終わらせておいて、子供が帰ってきたら向き合うようにする。

子供と一緒にいると疲れてしまって、その疲れを紛らわせるために、ついスマホをみてしまうけれど、それをコンサータで補って、子供に集中が向いたままでいられるようにする。抑肝散を飲む。中断されるものだとちゃんと心得ておく。

したいことがあっても「あとでしよう」とメモに書いて放置する。

そういうことを心がけようと思った。子供のことは本当に可愛くて、これ以上ないくらい大切なのに、冷たい声を出してしまうときもあるし、特に歯磨きの時には、暴れること自体が危ないのに、足の指で歯ブラシを持ち去ろうとしたり、身をよじって抜けようとしたりと口の中に歯ブラシを入れているのに、動き回るので、気持ちが苦しくなってしまうときがある。そういうとき、声を荒げて余計泣かせてしまうときがある。

私は、気持ちが苦しくなると同じことを繰り返し言ったり、布団をたたいたりしてしまう。これは、私の障害や病気が由来だけど、子供には関係ないことだ。

病院の先生は、大きくなったら、それはお母さんのどうしようもない問題だから自分とは関係ないと区別して考えられるようになる可能性もあるけど今はわからないだろうから工夫しないとねと言った。

声を荒げるなどの行為は、子供には怖いはずだ。子供に対して暴力をふるっているのと同じことだから、何とかして止めないといけない。

愛していると言いながら、同時に子供を怖がらせるような親ではありたくないのに、今の私はそうなってしまうときがある。

そういうことを少し悩んでいて、批判されるかもしれないけど、正直に書いた。

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