2020.03 -2

忙しない。
押しつぶされそうな日々を、押し返しながら進む。心休まる時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。どうするべきか、どうなっていくのか。考えようにも心がおちつかない。
自分1人だけの問題ならどうにかなりそうだが、当事者だけでも3人、意見だけ言ってきて動かそうとしてくる他人が2人とごちゃごちゃだ。逃げ出していいのなら逃げ出したいくらいだが、私が抜けると全てを背負わされそうな人がいるからもう少し頑張る。
もうすぐ新しい仕事が始まる。巻き込まれる時間は減るだろう。きっとずるずると続く長期戦になるだろうから、自分の身は守れるようにしていきたい。

相も変わらず自宅には入れない。“支援”というものもなんだかなと思うものばかりだ。膠着状態を無理矢理にでも変化させるのか、徐々に希釈していくのか、難しい。

待っている間に星を観ることが増えた。春は霞が出るというが、肉眼でみる星は、冬とそんなに変わらない気がする。
昼に出るのが霞で、夜だと朧に呼び名が変わるらしい。細やかな季節に久しぶりに触れた。

本をも読めない状態は、私にとっては緊急事態だ。そんな生活を2週間もしているのだから、落ち着かないのは仕方がないのかもしれない。

自分で書いた文章を読んで自分を見つめ直す。「こんな忙しい時に昔のことなんて」と思いはしたが、見にいってよかった。
切り離そう。色々と。渦の中にいては外は見えない。押し寄せてくる水流に身を任せることしか出来なくなる。渦中にいても、外からの視点を持ち続けていたい。
巻き込まれすぎて感覚が麻痺してきた。なにが正常なのかわからなくなった。判断基準がずれてきている。さて、どうしていこうか。一歩でも二歩でも離れてみて、向くべき方を探し直す。

切り離したい思考を切り離せないでいる。どうにかうまく文章にしたいが、愚痴や文句ばかりでやりたいことが何も出てこない。今はまだ、動ける状態ではないのかな。
最近の現実逃避は賃貸物件を眺めること。「一家離散の危機」と書いた時はどうなるか予想もつかなかった。4人ばらばらではなくて、1:1:2になりそう。この場所を間借りし続けられるのならば、だけれど。
ポットと炊飯器は自宅から運び出した。昨日、電子レンジが届いた。冷蔵庫は来週だ。ホットクックも一緒に買いたかったけれど、大きさとレシピの検討が終わっていなかったからやめた。もうすぐ仕事が始まることを思うと買っておけばよかったのかな、なんて考えたりする。冷蔵庫の大きさも、2人分の大きい方にすればよかったか、と届く前から後悔している。
みぞれが降る中洗濯機を回している。今日の予報は雪のち曇り。乾燥機にかけられるものはいれてしまって、その他は乾くことを願って干す。昨日はとても暖かかったのに寒暖差が激しい。
桜が咲く頃の一時的な冷え込みのことを花冷えと呼ぶそうだ。そういえば、5年前の誕生日もとても寒かった。その時は晴れていて、友人の勤めているケーキ屋さんまで片道2時間近くかけて行ったっけ。懐かしいな。
単調になりつつある日々を今日もこなしていく。義務感で動いている今はつまらない。楽しいこと、心安らぐことを少しずつ生活の中に取り入れていきたい。
雪が止んで雲の間から陽が差してきた。うぐいすの鳴く声が聞こえる。あんなにも寒かったのに、元気だなと思って笑った。

オフィスカジュアルという馴染みの薄い服装に合う靴を探しにいく。1日外で過ごしていたら気分が正常に近づいた。問題源や嫌いな人のそばでずっと過ごすのはよくないな。外出自粛が大切なのは分かっているが、息を抜くためにも外に出なくては。保健所の人も「放っておいていいのよ」と言ってくれたことだし、自分のことに目を向けよう。
大学生の時に好きだったパン屋さんがタイムセールをしていた。お高いのでたまにしか買わなかったけれど、セットでいくら!とお安くなっていたので飛びついた。今はおいしいパンを食べて幸せいっぱいだ。クロワッサンが大好きな母に「食べる?」と聞いたら嬉しそうにしていた。

手続きの為に最終出社。優しいパートさんと変わりものが多い社員。色々あったけれど良い経験になった。
機器分析は楽しかった。積み重ねていけば結果が出る。装置の原理を理解していくとトラブルが起きても予想ができる。一歩一歩階段を昇る感覚が性に合っていた。正確に、丁寧に。それができたら素早く行うことを追加する。終わりの時間をみつめて焦ると失敗する。何度も後悔したから、新しい仕事に向かう前にもう一度胸に刻み込んでおく。いくつか並行して仕事を進めることは大切だけれど、正確に行ってこその仕事だ。
上から下までフロアを渡り歩いてご挨拶に伺った。工場へは車で連れて行ってもらった。「さびしいな」「いつでも戻っておいで」と声をかけていただいて嬉しく思う。
誰にでも笑顔を振りまくのはよくないのでは、と考えることがある。八方美人という言葉は悪意をもって使われることが多い。誰かに嫌われてしまうことが怖いだけではないか。自己防衛のためのそれを優しさと呼べるのか。そんなことを考える。そんな私だけれど、あたたかい言葉をたくさんもらって上向きに思考が動いた。あの言葉たちは私が笑顔で過ごしていたからもらえたのだろう。かけていただいた言葉の数々に背中を押してもらった。悩みながらになるとは思うけれど、もう少しこの方向で生きていく。