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札幌市徽章

はじめに札幌市内を歩くと、あちこちの消火栓やマンホールの蓋に、雪の結晶と星のマークが付いているのを目にする。これが市のシンボルマーク「札幌市徽章」である。このマークがどのような経緯で今あるのかを調べてみた。 いつ作られたのか市の公式見解 札幌市例規集には「明治44年8月制定」とある。もっとも、制定当時はまだ市ではなかった。『新札幌市史』には「札幌区徽章」として載っているが、いずれにしても、明治44年8月制定というのが市の公式見解であるようだ。 明治44年7月以前の使用例

    • 植村甲午郎と阿部謙夫

      植村甲午郎(うえむら こうごろう)と阿部謙夫(あべ しずお)と言っても、今では知らない人がほとんどだと思う。植村は経団連会長や1972年札幌オリンピック組織委員会会長を務めた人物。阿部は北海道放送(HBC)社長や札幌交響楽団理事長をしていた人物である。どちらも、今から50年くらい前にはかなり有名な人だった。この2人が、小学校で同期だったというのだが、資料を読んでみるとどうもつじつまの合わない点があるので、検証してみたい。 小学校入学まで植村甲午郎は、明治27年(1884年)

      • 仮校舎と資生館の位置

        前回の記事「資生館ができた日」に続き、開校150周年私的記念事業として、資生館が正式開校する前に仮校舎が置かれた場所、および正式開校後の校舎はどこにあったのかという問題を取り上げてみたい。 根拠となる資料 再度引用するが、『札幌区史』389頁には次のようにある。 資生館は札幌教育所の嚆矢なり。明治3年12月24日、島判官造営の本陣内に仮校舎を設け、(中略)移民子弟の教育を開始せしが、4年10月、今の北1条東2丁目に移転し、初めて資生館と称し(後略) これに加えて、前回も

        • 資生館ができた日

          今年で開校150周年 明治4年、開拓使は資生館を設置した。札幌で最初の学校である。当初は主に20~30歳の生徒を対象として皇漢学を教えていたというが、その後、改組・改称を重ねて札幌学校、雨竜学校、第一小学校、創成小学校となる。これが2校に分裂して中央創成小学校と西創成小学校になり、後に再統合して創成小学校に戻る。私の母校でもある再統合後の創成小学校は、元をたどれば資生館になるというので、昭和46年(1971年)に創立100周年のお祝いをしたのであるが、あれから50年経った今、

        札幌市徽章

          盆のような月

          「出た 出た 月が まるい まるい まんまるい 盆のような月が」という歌がある。さて、お盆はすべて丸いわけではなく、四角いものも多い。また、丸いものはお盆以外にいくらでもある。「丸いものといえば?」のランキングを見ても、お盆を挙げている人はいない。 なのになぜ「まんまるい 盆のような月」と言うのか。この歌以外で、丸いもののたとえに盆を使う例があるだろうか。「盆のように丸い顔」「盆のようにつぶらな瞳」「盆のように丸く収まる」など、私が今思い付きで作ったものばかりだ。 ひょっ

          盆のような月