妊娠8ヶ月の話。
姉のところに元気な男の子が産まれた。
わたしの子と同級生だ。
表情をくるくると変えて、なかでもゲップをさせられているときの「されるがまま」の姿が一番かわいらしかった。
姉に「あと2ヶ月すればおまえの番だね」と言われた。
赤ちゃんはお腹の中でずっと聞いていた父と母の声を覚えていて、
産まれてきてからはその声を聞いて安心するらしい。
ふと思った。
わたしは全然話しかけていない。
そして自分の影響されやすい性質のことを思い出す。
そうだ、わたしは夫に胎動を「ふーん」と言われたあの時から、お腹に語りかけるという行為をおろそかにしている、と、やっと気づいた。
インターネットの中で見ていた似た週数の妊婦たちは、このころには「キック!」というとそこを蹴り返してくれるとか、胎動が幸せだとか話していた。
ためしにお腹を叩いて「キック!」と言ってみる。
反応はない。
わたしが横になっているときと食事中にひときわ大きく暴れるが、
こちらからの声にはこたえてくれない。
悲しかった。
すぐに夫に話した。
「自分ひとりでお腹に声をかけるのがむなしい」
「あなたの声ももっと聞かせてやりたい」
「昼間はテレビも音楽もつけていない」
「わたしたちの声がわからないかもしれない」
きっと不安になることなんてなく、産まれてきたらわたしを母と認識するだろうし、父のことだってわかるはずだ。
それでも悲しかったのは、自分が「胎動が幸せだ」と感じていないことだった。
「あなたと一緒にお腹を撫でたい」
夫にそう伝えた。
夫はもともとシャイで照れ屋で人見知りだ。
必要以上のことはしゃべらない。
他人の家で「トイレを借してください」が言えずにずっと我慢している、そういう男だ。
そんな夫だが、わたしの「胎動を幸せと感じない」という発言がショックだったのかもしれない。
それから夫は朝お腹に向かって元気に「いってきます」と言うようになった。
帰ってきたらただいまも言うし、そばに寄ってきてお腹を触ってくれるようになった。
わたしが「今動いているよ」と言うとすぐに手を伸ばし、
自分が触れた途端に動かなくなると残念そうな顔をした。
声をかけ始めるのが遅かったせいかもしれない。
それからも、わたしの声にも夫の声にも、なかなか反応しなかった。
それでも、夫がお腹の子を気にかけてくれるようになって、
昼間ひとりでお腹に声をかけることがむなしくなくなった。
「お、元気だなぁ」
「今日のごはんは美味しいかい?」
「パパが早く帰ってくるといいね」
わたしの好きな音楽もかけて一緒に聞いた。
入院で必要なものや赤ちゃんの服も一通りそろえた。
こんなに小さな服を着る生き物が、もうすぐわたしのお腹からでてくるのかと思うと、不思議でたまらなかった。
楽しみで、幸せだった。
日曜日、洗濯した赤ちゃんの服を干している夫の背中を見て、
「あ、この人も親になるんだよな」
と思った。
当たり前なのに考えもしなかった。
自分が母になることばかり考えていた。
この人も父になるのだ。
気づいた瞬間に、ニヤニヤした。
父親が、自分の子の服を洗って干している。
こんなに幸せな光景があるだろうか。
この人も、こどもが産まれてくることを楽しみにしている。
きっとずっと楽しみにしていたと思う。
わたしが気づかなかっただけだ。
つわりだなんだと、自分のことしか考えられなくなっていた。
3ヶ月と言われていた他部署への応援も、3ヶ月延びて、さらに半年延びていた。
1年も、慣れないところで忙しい仕事をこなしている。
夫だって、帰ってきてからお腹の子に声をかける余裕なんてなかっただろう。
それか、もしかしたらもっと声をかけたかったのかもしれない。
照れくさくて、わたしに言われるまでできなかったのかもしれない。
遅かったかもしれないけれど、まだ2ヶ月ある。
夫のいってきますに反応がなくても、「あなたに似て照れているんだよ」と言って笑っている。
わたしと夫の声をたくさんたくさん聞いて、産まれてきてほしい。
おしまい。
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