妊娠9ヶ月の話。

妊娠9ヶ月の前半は、妊娠アプリが「子宮が様々な臓器を圧迫して、息切れ、胃の不快感、頻尿などに悩むでしょう」といっていた通りの2週間を過ごした。

パンやパスタなどの小麦製品を食べると食道が逆流しているような感じがしてとにかく不快で、もともと控えていたパン(大好物)をさらに控えて和食中心にした。

胃が不快ではあるが良いこともあって、おなかいっぱいに食べたと思っていても実際はあまり入っていなかったのか、体重が全く増えなかった。

全く増えないのもどうなの、と夫は心配したが、先生からは注意がなかったどころか「すごいね」と言われた。


臨月に入ったら産院から車で10分のところの実家に帰ろうと、母や夫と計画を立てていた。

実家のすぐ近くに公園があるから毎日散歩に行こうとか、

週末だけ来るという夫にもっと来てよと文句を言うとかしていた。

そんなとき、産院から電話があった。

「先生の具合が悪く、入院が恐らく長期にわたるため産院を閉める。

 申し訳ないが、自分で受け入れ先の産院を探してほしい」

なんということだ。

来週から臨月だというのに、受け入れ先なんてあるのだろうか。

あとから聞いた話によると、先生は脳腫瘍で診察中に倒れたらしい。

先生もほかの妊婦さんたちも、一刻を争う事態だった。


全く暑くないのに大量の汗をかきながら、夫と母に電話した。

ほかの産院といってももう車で1時間以上かかる場所にしか産院はない。

二人からどの方面なら行きやすいとか、そっち方面はなしだ、などの話を聞き、とりあえず1軒、電話をかけてみた。

「申し訳ありませんが、いっぱいです」

電話を切ってから、だよね、と声がもれた。

絶望的だ。

泣きそうになっていると母から「今ならお父さんがいるし、あっち方面もいいかもしれない。お父さんのアパートで洗濯ができるし」と連絡があった。

その方面は夫はなしだと行っていた方向なのだが、今なら単身赴任中の父がいる。

産まれてからの入院中は夫より母に世話になるのだし、母が行きやすいのならいいだろうと、その近くの産院を調べて電話をかけた(もちろん夫に連絡してから)。

「予定日はいつですか? あら。もう、すぐじゃないですか。紹介状はいただけるんですよね?いいですよ、うちにいらしてください」

なんと、あっけなく決まった。

あっけなさすぎて、本当にいいのかと疑った。

紹介状やカルテを見てやっぱり無理です、と言われるかもしれないし、まだまだ油断ならないぞ、と。


翌日、夫に休みを取ってもらって閉まる産院に紹介状をもらいにいった。

朝一番に行ったのだが、次々と入ってくる他の妊婦さんたちのお腹はみんな大きく、わたしと同じくらいの週数か、もっと先のように見えた。

臨月の妊婦さんならみんな考えることは一緒なんだなと、変に安心した。

駐車場には、きっとうちの夫と同じように急に休みを取ることになったであろう男性たちがたくさん、疲れた顔で運転席に座っていて、なんだか面白くて笑ってしまった。


紹介状を持って、そのまま昨日電話をかけた産院に行った。

先生は、前の産院の先生を心配しながら紹介状を見たり、エコーでお腹の赤ちゃんを見たりして、

「元気ですね、いいですね、ここで産みましょうね」

と言ってくれた。

ああ、一安心だ。本当によかった。

それから看護師さんに、今の時期にやることや、入院に必要なもの、この産院についての説明などをしてもらって、最後に受付で必要な書類にサインをした。

わたしの母と夫の母にも産院が変わったことを伝えた。

帰ってからはもらった書類を見ながらこれはいらない、これは母子手帳にはさむ、これは毎日やるから見えるところに、などブツブツと言いながら今日説明されたことを整理した。情報量の多さに頭がパンクしそうだった。

入院に必要なものも変わったため準備もやり直しだし、産院への距離を考えて産前に実家に帰ることもなくなった。

夫と新たに話し合わなければいけないこともたくさんある。

パンクしそうだと思っていた頭がおそらくパンクしたのだろう、翌日から3日、わたしは寝込んだ。


そして、とうとう「出産に臨む月」、臨月にはいる。


おしまい。

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?