私にとっての「働く」とは
ふと考えていて、自分の中で現時点で納得できる解答が出てきたので、忘れないように書き出しておこうと思う。
私にとっての「働く」とは
私は働くのが好きだと思う。
というよりも、日々「しなければならないこと」があれば、自分の「生きること」に意味ができる。
生きていることにきちんとした道筋ができる。
だから私は働くのが好きなのだと思う。
でもそれは一方で、とても他力本願な生き方ではないかとも思う。
誰かの作り出した仕事を与えられ、誰かの作り出したゴールに向かって働く。
私はそれでも十分幸せに働けると思う。
ただ、どこか腹落ちしない自分もいる。
その違和感はどこにあるのか、考えてみた。
以前誰かが言っていた。
働くとは、「傍を楽にする」という意味で、
自分の愛する人や、同僚を楽にしてあげるために働くのだと。
私はそこまで聖人君主にはなれない。
他力本願でありながら、自己中心的な自分がいる。
では、私にとっての「働く」とはなにかと、考えてみた。
前出の誰かの言っていた「働く」の解釈に便乗して、働くという漢字を分解してみた。
人を動かす
人を動かす、とは指示を出すことだろうか?
リーダーのような役割を担って、道標を示すことだろうか?
いや、私にとっての「人を動かす」はそうではない気がする。
人は動きたいときにしか動けないと思う。
そこで感じたのは、私はできるのであれば、
感動で人を動かしたいのだと。
感動で人を動かす
そもそも感動って「感じて動く」わけだから、
感動した時点でもう何かは動いているんだとは思う。
それが手足なのか、口なのか、心なのか、それは人それぞれ。
ただ、たしかに「何かによって」、しかし確実に「自分の意志で」動いているのだ。
私は感動を与えたい。
視界がブワッと広がるような感動
脳みそがフル回転するような感動
心拍数が上がってしまうような感動
思わず涙が溢れるような感動
そういった感動を与えたい。
うん、きっと、そうだ。
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