20年ぶりに人生の原点になった本と再会した。

はじめに。


自粛期間中、

週に1回の買い物と

たまの朝の散歩以外、家にこもっている。


家にこもって何をしてるのかというと

ここぞとばかりに

今までやらなかったことをやっている。


いろんなジャンルの本を

ネットで買っては読んでを繰り返したり、

最近ハマった松坂桃李の

映画やドラマだけにとどまらず

インタビューまでチェックしたり、

ミルクレープの夢をみたので

材料を揃えて焼いてみたら

パンケーキになったり、、、


その中で自分の原点を

改めて確認する体験をした。


きっかけはたった1冊の本。

ネット検索中に20年ぶりに再会したのだ。


即取り寄せをして読んだところ

面白いくらいに

私の人生に影響を与えていたことが発覚した。


そしてこの秘密アカウントで

気づきを書き残してきた。


誰にも見せるつもりはなかったけど、

あるメッセージを伝えたくて

公開することにした。


コロナの影響はもはや

かかる・かからないだけの問題ではなく

私たちの心を疲弊させている。


普段はそんなことないのに


人が集まってるのを見るとムカつく

咳の音やマスクをしてない人が目に付く

政府批判をしたくなる

家族にイライラする

コメンテーターにイライラする

スマホを開くたびに疲れる


こんな風になっていないだろうか?


他の発信物と違って

丁寧語でもないし、

めちゃくちゃ長いので、

本当に興味がある人にだけ読んでいただければ

それでいい。


きっと、その人には

今必要なメッセージだと思うから。



人生のどん底期に抱いていた

まわりへの憎しみがすっかり消えた理由も、

そして私がコーチとして起業してから5年間

「私以上に私のことを信じてくれた」

「適切な道を示してくれた」

という言葉を何度もクライアントさんから

いただけた理由も、ここに全てある。


20年ぶりの再会


私の人生の原点であり、

今まで読んできた何百冊の本で

唯一ビジュアルまで覚えていた

衝撃の本がこちら。


画像1

だから、あなたも生きぬいて|大平光代 著


なぜ衝撃だったか。

もちろん著者の経歴は誰から見ても

ある程度は驚くだろう。

wikipediaにも載っているが


いじめで割腹自殺→暴走族→暴力団極妻→弁護士

というすごい経歴の持ち主。



でもそれ以上に

初めてこの本を読んだ時、

私はまさにこの著者と同じ

死にたいと毎日考えているような

小学校6年生だったからこそ衝撃を受けた。


何回も読み直さなくても

強烈に当時の私の脳内にインプットされて

20年ぶりにこの本を開いた瞬間、

全ての画像と文字配列を覚えていることに

また驚いた。


そして読み返していくと

私の人生の随所随所に

この本の影響が出ていることを

改めて知ることになって

これもまた驚いた。


最初にいっておくが

当時の私はこの本を読んで

素直に「よし!私も頑張って生きぬこう!」とは

とても思えなかった。


前向きな言葉をそのまま受け取れる

その次元にはもういなかったから。


イジメからの自殺未遂


今までイジメに関わったことのない人が

どのくらいいるんだろう。


いじめること、いじめに加わること、

いじめられたこと、

経験がないという人はほとんどいないはず。

みんなどこかで傷ついて、どこかで後悔してる。


この本もまず

イジメの経緯や内容から入っていく。

そして著者が自殺未遂に至るまで。


イジメが始まる要因も終わる要因も

本当にありきたりなもので、

だからこそイジメは無くならない。


狭い世界で

みんな同じように行動させられて

その鬱憤や退屈をイジメで解消する。


20年ぶりに読んだらあっという間だったが

当時、

学校でのイジメ・中学受験勉強の苦しさ・

親との不仲で

毎日どん底だった私には

この章がなんとも長く感じた。


当時の率直な感想は

「ほんと大人って無能だな」

ということと

「実際に割腹できたこの人はすごい」

ということ。


そして

自分だったら・・・と何度もイメージした。


何度この本の真似をして

実際に包丁を持って

割腹するイメージをしただろう。


何度

親、親戚、先生、クラスメイトを

死んで後悔させてやりたいと思っただろう。


そして何度

手首さえ怖くて痛そうで

切れない自分を情けなく思っただろう。



実は、

この本の大平さんの人生のどん底は

自殺未遂の時ではなく、

その後にやってくるのだが


私が死にたいと思った理由も

この後にやってきた。


誰にもわからない絶望


この本では

自殺未遂の後、

「下り坂」「どん底」という章が続く。


そう、

自殺未遂がどん底ではなく

その後に彼女をどん底に突き落とした

大人たちがいた。


それは、世間体を気にして動かない親と

親身になっていない先生だった。


親が子供の本音や思いより世間体を優先して

転校もさせず、引越しもせず、

自殺の原因を作った学校に戻したこと、

茶化すクラスメイトを先生が叱らず

話を聞いたり守ろうともしてくれなかったこと。


彼女の悔しさと苦しみと孤独が

痛いほど伝わってきて

当時はここで涙が止まらなかった。


やっぱり大人は無能だ、何もわかってない。

自分たちが子供の頃を

忘れてしまったのだろうか。


義務教育中は

学校と家庭が自分にとって全ての世界になる。

自分でお金を稼ぐこともできないし、

なにをするにも親の許可がいる。

狭い、狭い世界なんだ。


そして、この世の一番の絶望は

イジメられたことではなく


「こうするしかない」「ここにいるしかない」と

選択肢を取り上げられた時である。


もう一度いう。


この世の絶望は

「こうするしかない」「ここにいるしかない」と

選択肢がないと感じたときである。



学校では無視されて

中学受験の勉強は辛くて成績もふるわず

親とも不仲で


誰も味方がいなかった私が

自殺をしようと思ったのは


「学校に行きたくない」と言ったら

親から

「学校に行かないなら

中学受験もさせない」と言われたから。



あぁ、あと4年もこの地元と

同じ人間たちの中に縛られるんだ。

かといって今学校にも行きたくない。

もうどうにもならない。死んだ方がマシだ、と。



大人でさえ

視野が狭くなって

選択肢がないように感じて

絶望することがある。


例えば

「生活するならこの会社にいるしかない」

と思ったら

会社で理不尽なことをされても

ストレスが溜まっても体を壊しても

「ここにいるしかない」と

い続ける人が多いだろう。


それが

自分でお金を稼ぐこともできない

社会に出たこともない

義務教育中の子供が

他に選択肢がないという状況に置かれるのは


思っている以上に絶望する。


もうこの世の全てが

敵に見えて、悪に見えて、

辛いだけで生きてる意味なんて

見出せるはずがないほどに追い込まれる。



大人になって選択肢がないと言ってるのは

ただの勘違いなんだけど

子供にとっては事実になる。


これが、

命を捨てたくなるほどの本当の絶望。


本に出てくる大平さんの言葉からもわかる。

「私は中学のときにいじめられたということが、

どうしても忘れられなかった。

客観的には暴力団の世界にいたときのほうが

どん底だったけど、

主観的には、中学校の頃のほうが辛かった。」


本当の自己肯定感とは


「ただいてくれるだけでありがとう」

これが自己肯定感である。


自分に対して、まわりに対して

そう言えますか?


何かを頑張ったから褒められる

だと一生頑張り続けることになる。

頑張れない自分を責め続けることになる。


でもほとんどの人が

そうやって育てられるよね。


だから苦しいとき、

自分に対してこう接してくれる存在は

何者にも変えがたいもの。


この本でも何度も

「おばあちゃん」の話が出てくる。

自殺未遂の直後でさえ

「おばあちゃんに会いたい」と湧き出てくる。


ここも私と重なったところ。


親も親戚も先生もクラスメイトも

全員に後悔させてやりたかったけど

ただ2人だけ


今は亡き母方の祖父と

今も元気にしている祖母の存在が

死にたいと思うたびに浮かんできた。


その理由を当時は

ただ「大好きだから」だと思ってたけど

大人になった今ならわかる。


2人からはずっとずっと

「ただいてくれるだけでありがとう」を

感じていたからだ。


優しいとかなんでも買ってくれるとか

そういう上部の話じゃない。

子供だからこそ敏感に

人の内側を、本心を、感じ取れるものだ。


2人だけはいつだって

私がいるだけで喜んでくれる存在だった。



子供の頃はたった2人だった存在も

今では増えている。


それは私自身が自分に対して

「ただいてくれるだけでありがとう」と

思えるようになってきたからだ。


自分に対して思えるから

まわりに対しても思える。

そして、思われる。


転機


よく転機とは突然やってくるもの。

と言われるけれど

この本の大平さんにも突然転機がやってくる。


小さい頃にお世話になった

父の友人との再会。


これはまさに、チャンスだった。


だけどチャンスを拾ったのは

間違いなく彼女本人。

面倒くさくても投げ出さずに食らいついたから

転機にできた。


チャンスは誰にでもやってくる。

それをふてくされてスルーするか

食らいつくかでその後の人生が変わる。


そして私も衝撃だったのが

大平さんの転機になった

このおじちゃんの言葉を胸に

私も生きてきたということ。


胸に抱いてきた言葉


本の中で大平さんが

人生の転機となった父の友人に

今までいじめられてきたことの

恨みつらみを話した後、

このおじちゃんが言った言葉がある。


「だったら、復讐をしたらええやんか、

でもその方法を誤ったらあかん。

もし相手に危害を加えたり、

陥れたりする方法で復讐したら、

傷つけてしまった相手は二度と元に戻れへんし、

自分自身にも跳ね返ってくる。

それよりも、最大の復讐は、

自分が立ち直ることや。

そして、なにか資格を身につけなさい。

例えば、

もし憎い相手が

簿記の三級の資格を持っているなら

自分は二級を取りなさい。

相手が二級なら自分は一級。

そうすると相手を追い越したことになって

気持ちもスッとするやろうし、

自分のためにもなる。

これも立派な復讐とちがうか」



私は人生のどん底を経験してから

学生時代はずっと

地元に住んでる人の中で

”一番いい暮らしをして一番幸せな人生を送る”

と思って生きてきた。


その考え方のルーツが

この言葉がきっかけだったと

20年経った今、気づいた。


この言葉は

親、親戚、先生、クラスメイトに

向かってたエネルギーを

自分の人生を良くするために向けるものだった。


そういえば数年前

いわゆる見える系の人に


「見返してやる」って感じ?いいね!


と何も話してないのに言われたことがあって

ドキッとしたことがあったなぁ。


大逆転劇


自殺未遂、暴走族、極妻・・・と

転落していた大平さんは

おじちゃんの


「確かに、あんたが道を踏み外したのは、

あんただけのせいやないと思う。

親も周囲も悪かったやろう。

でもな、

いつまでも立ち直ろうとしないのは、

あんたのせいやで、甘えるな!」


の言葉で目を覚ます。


そこからは再出発で

宅建、司法書士、弁護士・・・

今まで勉強をしてこなかった中卒の彼女が

いちから学んで合格していった。


とてもじゃないけど

本には書ききれない

葛藤があったんだと思う。


この本は弁護士になった

という部分までが書かれている。


当時の私もここを読んで

たしか

「受験勉強また集中できるかな」

と一瞬思って

真似して本屋に行った気がする。


そしてほんのかすかに

私の何倍も転落して

そこからでさえ弁護士になれる

大逆転も可能な世の中なのかもしれない


そんな希望的な側面も

少しだけ芽生えていた。


伝えたいこと


20年ぶりにこの本を開いて早速

「若いうちの苦労は買ってでもしなさい」

という言葉が目についた。


この言葉は

誰に言われたわけでもないのに

私が就活中、胸に秘めていたこと。


この本の存在を忘れていても

20年間手にすることがなくても


この本の中には

自分が支えにしていた言葉がいくつもあって

大学では法学部に進んでいて

当時自分がほしかった存在になることで

起業していた。


私の無意識に入り込むほどに

衝撃を受けたんだと思う。


今みたいに携帯もパソコンも

持ってなかったから余計に。


そして本の中で

彼女が自殺を図ったのは

「もう20年も前」と書かれていて


思えば私も人生のどん底から

もう20年も経ったのか・・・と

なんだか感慨深い気持ちになった。


おー想像以上の未来を生きてるなって。


私は人生に絶望した経験があるからか、

ただの前向きなポジティブさは

どうも好きになれない。


例えば簡単に

「命を大切にしろ」「生きてればいいことある」

というのは

綺麗事にしか聞こえない。


苦しんでる時にそんな言葉は響かないのだ。

そんなこと頭ではわかってるんだよ、

小学生だって十分わかってる。


それでも苦しいんじゃないか。

この先も苦しいことが容易に想像できてしまって

辛いんじゃないか。


もし自分がそんな状態に置かれていたとしたら、

まわりにそんな状態の人がいるとしたら、


できることは1つだけ。


選択肢がたくさんあることを知ろう。伝えよう。


前向きな言葉なんかより

生きるための現実的な選択肢を。


私は子供の頃、もし親から

「辛いなら学校に行かなくていい」

と言われたとしても

手放しに喜べなかったはずだ。


だって、

”普通”だったら毎日学校に行くものだから。

学校に行かない私は

もう”普通”に生きることができなくなるんだという

恐ろしさと悲しさがあったと思う。

できるなら”普通”でありたいと願ったと思う。


なぜ願ったかというと

まわりにいた大人も、もちろん私も

「決められた学校に通う」という選択肢しか

知らなかったからだ。


現実的な選択肢を増やすとは

ただ学校に行くとか行かないだけではなくて

人生を幸せに生きられる

いろんなルートを知ることだ。

提示することだ。


私が衝撃を受けたこの本のように

・不良になっても弁護士になって

活躍している人が実在すること

を知ることも1つだし、

・学校に通わなくてもスクールで勉強ができること

・家庭教師だけで一流大学にだって合格できること

・今や小学生だってお金を稼ぐことができること

・働き方も会社に雇われるだけじゃなくて起業ができること

などなど


実際に自分がそうなれるかが大事なのではなく

「安心できること」こそが

生きていく上で大事なのだ。


このネット社会、

大人は自分でいくらでも見つけられるだろうし

子供の場合は一番近くにいる大人が

たくさんたくさん選択肢を提示して

安心させてあげればいいと思う。


間違っても

「これしかない」「こうするしかない」

なんて

絶望させないでほしい。


子供にとって大人の役割は

”普通”の正しい道に導くことじゃない。


今進んでる道でうまくいかないなら

無限に選択肢があるから大丈夫だよ、と

伝えることだ。


そして可能であれば

「あなたがいてくれるだけでありがとう」と思って

接してほしい。


そのためには大人自身が

「こうするしかない」なんて

思い込みから解放されて


「いてくれるだけでありがとう」

と自分に対して思える自己肯定感を持ってる人が

1人でも増えることが私は近道だと思う。


***

「こうなってほしい」なんて期待するな。

してもいいけど

期待通りにならないからって責めるな。

期待するより信頼しろ。

自分も子供もまわりの人も

何を選択したって幸せに生きていけることを。

***

このメッセージを自分に、

そして、必要な人に伝えたい。


自分に対して、

誰かや環境に対して責めたくなったら

それは期待してる証拠だ。

期待を裏切られたら

幸せになれないと勘違いしてる。


そんな不安定な淡い期待よりも

どっしりとした信頼を持って生きよう。


私も何があっても幸せ。

あなたも何があっても幸せ。

だから、大丈夫!

いてくれるだけでありがとう。


この軸がある上で

「もっとこうしたいな」「こうなるといいな」

そこに向かって進むのが健全。


そして人間だから

忘れて不安になることも焦ることも

イライラすることもあるだろう。


そのたびに

何度でも思い出せばいい。


期待するより、信頼せよ。



最後に20年前の

絶望的な気持ちでこの本を読んでる私へ。


あなたはこの本を読んだとき、

自分は本当に中途半端な人間だと

また少し苦しくなったよね。


本の彼女みたいに

実際に腹を切って自殺未遂することもできないし

転機を与えてくれるような人には出会えないし

勉強のやる気も続かないし


人生を終わらせることにも

生きることにも中途半端な気がしたよね。


だけどあのとき、

ほんの少しでも「終わらせる」より

「生きる」を優先してくれてありがとう。


今、まわりにいる人を

後悔させてやりたいほど憎んでいるし

今、身をおかざるを得ない環境を恨んでるよね。


でもね

まわりにいる人も身を置く環境も

どんどん変わっていって

結局は人と環境のおかげで

どんどん幸せになっていくんだよ。


今見ている世界なんて

本当に狭いんだから。


そして信じられないかもしれないけど

今の苦しい日々を体験しておいて

良かったと思う日がくるんだよ。


もう頑張らなくていい。いてくれるだけでいい。


今は誰も言ってくれないと思うけど

そう心から思える日が必ずくるから安心してね。

本当に、本当に、ありがとう。









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