見出し画像

夢の中へ

これは、とある工場に勤めていた井上さん(以下すべて仮名)という男性から聞いたお話です。

20年ほど前のことです。
井上さんの同僚に斉藤君という男性がいました。
井上さんと同郷で、年齢は29歳。
ひょろりと背が高い、無口な青年でした。
真面目で温厚な性格でしたが、何事にも不器用で要領が悪く、仕事上でも時々ミスをしていたため、30歳近くになっても役職に就くことはなく、平社員のままでした。

しかし、その事を本人は特に気にする様子もなく、会社の独身寮等に住んで、淡々と毎日の仕事をこなしていました。
井上さんは同郷のよしみもあり、そんな斉藤君がどこか憎めなくて、日頃から気にかけていたのです。

ある日のこと、いつもは黙々と仕事をしている斉藤君が、どこか嬉しそうな、浮き浮きとしたようすで働いていることに井上さんは気が付きました。
「どうした?なにかいいことでもあったんか?」と井上さんが聞いても、軽く笑って「いや、別に…」と答えるだけです。

しかし、仕事中に時々ニヤニヤと思い出し笑いを浮かべることもあり、井上さんをはじめ、同僚たちの間では、宝くじでも当たったのではないかという憶測も飛び交っていました。
休憩中には、斉藤君の上機嫌の理由を突き止めようと、みんなで彼を質問攻めにして、ようやくその理由を聞き出しました。

「実は…、好きな人ができたんです…」
斉藤君はいかにも純朴そうな、はにかんだ笑顔でそう答えました。
うだつのあがらない、恋愛とは無縁だと思っていた青年の告白に、同僚たちは一気に色めきたちました。

「どこで知り合った?」「歳は?」「どんな娘だ?きれいな娘か?それとも可愛い感じの娘か?」などなど…。
男ばかりの工場で、出会いの機会もなく、ましてやこんな無口で要領の悪い青年が、どこでどうやって彼女を見つけられたのか、みんな興味津々で、いっそう質問攻めにしたのでした。

「どこでデートしてるの?」
「写真くらい撮ってるだろ?もったいぶらずに見せろよ」
そう聞かれて、斉藤君はますます恥ずかしそうに、ボソボソと
「写真はないです。だって逢うのはいつも夢の中なんですから…」

「夢の中~?!」
斉藤君の周りにいた同僚たちは一斉に驚きの声を上げました。
「なんだよ、現実にはいねぇ彼女かよ」
「真剣に聞いてたのに、損したな」
夢の話とわかると、同僚たちは急速に興味を失い、口々に文句を言いながら斉藤君の周りを離れて行きました。

しかし、井上さんは「夢の中の彼女」に興味を覚えて、もう少し詳しく聞いてみたのだそうです。
斉藤君は、井上さんが話を聞いてくれることがとても嬉しかったようで、いつになく饒舌に彼女との馴れ初めを話しはじめました。

その話によると、彼女と初めて会ったのは10日ほど前の夢の中でした。
彼の夢の中に脈絡もなく突然現れて、いきなり親しげに話しかけてきたのだそうです。
20代なかばくらいの、美人というよりも可愛い感じで、その容姿や服装、気さくで明るい感じなど、何からなにまで斉藤君の好みにピッタリでした。
そして何よりも、内気で無口な彼にとっては、積極的に話しかけてきてくれる女性の存在は、まさに夢のようで、とても嬉しく感じたそうです。

何を話していたのかは、翌朝の目覚まし時計の音とともにほとんど忘れてしまった斉藤君でしたが、とても楽しかった印象だけはいつまでも消えませんでした。
彼は次の夜も夢で逢いたいと強く念じて眠りました。
すると、その強い思いがか届いたのか、彼女は再び斉藤君の夢に現れてくれたそうです。

そうやって、斉藤君と彼女は夜毎デートを重ねて、見たこともないアトラクションのある遊園地や、奇妙な生き物がいる動物園や水族館など、様々なところに遊びに行きました。
途中、ガラの悪い連中に絡まれたりもしましたが、夢の中の斉藤君は無敵で、あっというまに彼らを叩きのめして、彼女から称賛と尊敬の眼差しを向けられたのでした。

「しょせん夢の中のことだと思うでしょうけど、俺はそれでもいいんです。
こっちでのつまらない仕事を早く終わらせて、早くあの夢の中に戻りたいと、毎日そればかり思ってるんですよ」
斉藤君はうっとりとした、遠くを見るような目つきで井上さんに話したのだそうです。

その後も、斉藤君の思い出し笑いは日を追うごとに頻繁になり、それにともなって仕事上のミスも多くなっていきました。
そしてある日、彼はついに出社して来なくなりました。
無断欠勤です。
同じ独身寮の同僚が様子を見にいくと、部屋の鍵は開いたままで、斉藤君はいませんでした。

その同僚の話によると、わずかな家具や家財はそのままの状態で、部屋の中も独身男性とは思えないほど、きれいに整理整頓され、掃除されていたそうです。
ただ、部屋の真ん中に敷かれた煎餅布団だけは、激しく寝乱れたような跡が残っていたのだとか…。

周囲の人の話では、とりたてて借金を抱えている様子もなく、怪しい宗教に傾倒していたような噂もなかったそうです。
しかし、斉藤君は数日たっても戻って来ず、何の連絡もありませんでした。
会社は彼の実家と連絡をとって、両親は失踪者として届けを出しました。
そのあとは会社内でも世間的にも斉藤君のことは急速に忘れられていきました。

「きっと斉藤君は夢の中の世界へ行ったんだって、私はそう思うようにしているんですよ。
彼にとっては、うだつのあがらないこの現実よりも、理想の彼女がいて、男らしく尊敬される自分でいられる夢の中の方が本当に居心地が良かったんでしょう。
逃げ出したくても逃げ出せず、こっちの世界に取り残された者としては、なんとも羨ましい気持ちで、時折彼のことを思い出しているんですよ」
と、井上さんはしんみりとした口調で言うのでした。

初出:You Tubeチャンネル 星野しづく「不思議の館」
テーマ回「夢(夢枕・予知夢等)に纏わる話」
2024.1.20

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?