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今回も母方の祖父、多吉じいさんから聞いた彼の若い頃のお話です。 昭和10年代、前回お話した「タヌキの婿入り」から2年後の9月半ばのことだったと言います。 その日も山向こうの備前焼の窯元まで、電気メーターの検針と料金の集金に行ったときのことでした。 朝、家を出て、窯元に着いたのは午前9時半ごろでした。 折しも窯元では窯出しの真っ最中だったそうです。 階段状になった長い登り窯の中から、焼き上がったばかりの備前焼が次々と運び出され、灰を払ったあとに、大まかに焼き上がりの良し悪し
これはセレモニーホールに勤務するAさんという50代の男性から聞いたお話です。 数年前、Aさんの務めるSセレモニーホールに、鈴木浩一という30歳の男性が入社してきました。 聞けば某一流企業の営業職を辞めて、しばらくの療養ののちに、隣県からわざわざ引っ越してきて、この葬祭会社に入社したとのことでした。 どこか陰のあるような少し暗い印象でしたが、そこがかえってセレモニーホールという職場には似つかわしく、泊まり勤務も率先してこなしてくれる仕事のできる後輩でした。 年の差はありました