見出し画像

女流3人で優勝してこそ「花」 フェニックスから華が消える ドラフトはガチ勢の竹内と浅井に

かつて世阿弥という天才の哲学を用いて、風姿花伝より「花」についてこんな記事を書いたことがある。以下、抜粋。

ファンを魅了して止まないエンターティメントにおける最も大事にしなければならないものを世阿弥は「風姿花伝」という書の中で「」と表現した。

~ 中略 ~

時代を超えても今も尚、「能」がエンターテイメントとして現代まで生きながらえている以上、Mリーグもまた、世阿弥に多くの学ぶべきものがあるのではないだろうか。

「幽玄」という物事の趣が奥深くはかりしれないもの、芸術性を「能」に求めた世阿弥。しかしは単に芸術作品であるだけでなく大衆から人気を博すエンターテインメントでもあった。芸の奥義を窮めるという縦への方向性大衆へも理解を求める横への方向性、その両方を世阿弥は持っていたということでもある。

すなわち能には幽玄と花、そのどちらもが必要なのだ。

敢えてMリーグに例えるならガチとエンタメ、両方とも必要であると言い換えてもいいのかもしれない。

会社の事情とは言え今回のドラフトで、フェニックスは華やかな女流3人の状態から男3人となりチームの雰囲気はガラリと一気に変わることになる。

単純に個人的な好みで言えば、もし魚谷・東城・浅井・竹内の選手構成だったら、なんか魅力的だしワクワクさせるものがないだろうか。

強そうで、華やか!

おそらく人気も昨年よりも確実に上がり、Mリーグで優勝も狙える力を持つ魅力満点なチームではないだろうか

こうしたワクワク感も率直に言って、来季のフェニックスには感じることはできない。

人気は確実に落ちることになる。

結局金がなくなった時、文化の豊かさも徐々に失われてゆくということだろう。

一方でこんな意見もあった。

この意見にも夢がある。たしかに女流3人でチームを構成し、それで優勝するとすれば、それはガチ勢バイアスにはまり込むドリブンズの越山の固定概念を根本から破壊するものとなる。

実に痛快だ。これはかつて大谷二刀流などできないと言われようが不可能を可能にした栗山監督のロマンにも近いものがある。

しかし女流3人で優勝するというこの不可能を可能にする一つの最低条件が一つある。それは男が絶対的強者であることだ。HIRO柴田ならば、女流3人でも十分に優勝することができる。

醍醐ではその役割を果たすことはまずできないだろう。

上のnoteで示したチームとしての戦略も、実は女流3人がいても勝てる戦略のガイドラインを示したものだと言っていい。おそらく女流3人で優勝するには個人一人ひとりが強さを求めてバランス感覚を磨くだけでなくダメであり、チームとしての戦略が必要なのだ

そのざっくりとした方針、チームとして共通認識として何が必要なのか?を提示させてもらった。チームとしての戦略を示したという意味では他ではまず示されていない内容にはなっていると思っている。(自信作ではあるので、よかったらサポートするつもりで読んでほしい)

この方法か、あるいはもう一つの方法もあるが それもいずれ示してみたい。

結論としてはつまらないチームになってしまったなと。プロとはファンへ夢を見せるものかもしれない。

不可能だと言われた大谷二刀流を育て、「北の国から 2016」というキャッチで当時最強であったソフトバンクに11.5ゲーム差がつけられながらも諦めずそこから大谷を中心にして大逆転し日本一を決めた、そんな「ドラマ」こそファンは見たいのだろう。

強いものが勝つのも悪くはないが、弱いものが強者を倒す。ここにはファンを痺れさせるロマンがある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?