中学生の頃みたいには浸れない

夏が終わった
毎日毎日を過ごしながら終わった夏を噛みしめつつ、夏の間には笑っていられたはずの人とぎこちない会話で誤魔化しながら、不意に自分一人が取り残されていることに気付いた

いつだって、いつだって一人だった

何かで隠していて、忘れかけていた感覚が秋の肌寒い風と日の早く落ちる昼に呼び戻されて、中学生の時の自分が大きくなって歳をとって今ここにいた

一人だった

この疎外感は人と接しているかどうかの物理的なものではなく、人と話しが出来ていない、ただ言葉の交わし合いをするだけの、気を利かせて言葉をかけてくれる優しい誰かから話を聞いても、その人の考える何にも関われない自分の不甲斐なさが思い知らせてくるもので、この自分の弱々しさを知る人がどのくらいいるだろう

いつだって人と関わることが出来ない

人が考える物、したい事や悩んでいること、辛い事、嬉しい事、悲しい事、驚いた事、感動も落胆も怒りも、そのすべてに手を差し伸べることが出来ない

それは僕の手の出し方が未熟で下手であったり、相手がそれを望んでいなかったり、表情が乏しかったり、気づかず否定的な言葉を使っていたり、気持ち悪がられていたり、自分の事しか見えていない故気づかなかったりするからで、それに気づいた時いつも反省するはずが何度目のリトライでも数度前の後悔を忘れて上手くいかないままでいる

その人にとって、その人の考える何かにとって、僕は薬にも毒にもならず、その人の人生や生活の中で僕は救いにも敵にもならない
なら僕の存在する意味がここには有るのだろうか

僕という存在が、人に良い影響も悪い影響も与えていないのだということを、大切に思う人を喜ばせも悲しませもしない事を実感した時の、この感覚が僕をずっと一人にさせていて、これが疎外感で、これが一つの孤独なんだろう

14歳の頃の僕なら何か好きな音楽でも聴いて、決まっていない将来に甘えて、孤独に浸ることが出来ただろうが
でも、もうどうしようもなく自己責任な現実を前に、僕はもう浸ることはできない

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