Bon Iver Zepp Tokyo

 ライブに行った。1/21 Zepp Tokyo。音楽を聞かない期間が定期的にあるのだけど、ライブ前は本当に何も聴かなかった。ライブに向かう途中でアルバムi,iを聴いて、あまりに美しい音楽とりんかい線の透明感で人生の最終回が来たんだと思った。

 Bon Iverを信仰して20代前半を生きてきた。音楽として楽しいからとかではなくて、理由のない不安や憂鬱を抱えて過ごして、心と対峙することが増えて、雑念や葛藤を忘れるために祈る音楽としてそこにあった。 

 眠る前に、頭をめぐる思考を収めて無になる。自分の存在を概念的に捉える。Bon Iverの音楽はいつも祈り、概念と一体となる道標になった。22, A Millionを聴いてエスカレートする。個から階層を超えて捉え直す。自分にとってはBon Iverは教義だった。

 ライブが始まって一時間近く祈り続けた。嗚咽しながら埋もれ続けた。とても神秘的な体験で、ありがとうという感情だけを抱き続けた。文字や言語としてでなく、感覚として感じ続けた。もうこの感覚は言葉にできない。言語以前の感覚のものだから、あらゆる人がBon Iver来日についてとても多くの言葉を使い表現をして評価していたけれど、自分には出来ない。実際この投稿も本当は意味がない。ネット上で言葉巧みに語る人も、プリズマイザーの手法だけを真似て要素化しようとする人も、ネタにしようとする人も、全てに意味がない。この音楽の前では全て無意味だと思う。

 自分は無宗教だけれど、信仰するものは何となれば間違いなくこの音楽だ。絶対葬式で流す。いつになるのかわからないけど。

 マジの宗教の人みたいになってしまった。記録として書いておきたかったのであんまり真面目に受け止めないでください。もし気になるなら聴いてみてください。


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