名前のアイデンティティ

名前ってなんだってふと思った。

ここ最近名前を知らない人と関わることが増えたからだ。
Twitterで知り合い、実際に会う。そういった時に、呼び合う"名前"はTwitterの名前がほとんどだ。

Twitterの名前がよくある名字の人もいれば、あだ名のような人もいたり、人名から離れたものなど様々である。

なんだかんだ付き合いが深くなると、本名で使っているLINEを交換したりして、名前を知ったり、職場を知ったりもする。
でも、呼び合う名前はTwitterの名前。
とはいえ、本名で呼ぶのも今更感もあったりするし、どこか違和感を感じたりもする。

既に、自分にとってはその人達の名前が、Twitterでの名前だから。

Twitterとは別だが、幼馴染の友達を名字で呼んでいたが、親の再婚もあり、幼馴染の名字が変わった。
仲良くなったら、下の名前で呼ぶことになることが多いとは思うが、その幼馴染のことはなぜかずっと名字呼びだった。別に下の名前が呼びづらいとかではない。

幼馴染の名前が変わってもなお、自分は名字で呼び続けた。
その子の親の前では流石に下の名前で読んだが......

それから10年も経ち、会う回数も年に数回になった頃には、なんて読んでいいかわからなくなった。自分以外はみんなその幼馴染のことを下の名前で読んでいる中、旧姓で呼ぶのにも違和感を覚えた。

かといって、今更下の名前でも呼べなかった。呼んでみても「違和感がすごい」と本人が嫌がってもいた......笑

そんなこともあり、数年くらい幼馴染の名前を読んでない気がする。
でも、ずっと交流があるし、帰省したら一番あっている子なのだから、これまた不思議。

下の名前で呼び合っているから仲がいいなんてちょっとした勘違い。
友達は数年付き合っている彼女のことを名字 + さんで呼んでたりする。

神田愛花さんは、ひょんな流れでバナナマンの日村さんのことをソウルと呼んでいたりする。

友達などプライベートでの人間関係で使われる名前は、独自の文化?流れ?から形成されるもの。
ニックネームでしか呼ばれない人とかが一番わかり易い。
一般的な名字みたいなニックネームの人もいたりするし。

ただ序盤での、本名を知らずにTwitterの名前だけでも仲良くなるというのは、現代的だなと。
ニックネームは本名を知った上での名前。
でも、Twitterでの名前はもはや別の名前であるが、個人的にはその人を示す名前であり、本名と扱いは同じ。

プライベートの世界でのその人の名前みたいな。

仕事では戸籍上の名前、プライベートではTwitterの名前。

ある意味切り分けとか、棲み分けとか、割り切りとかする分には丁度いいのかもしれない。

以前、鈴木絢音さんが

名前は親から初めて貰うプレゼント

と言っていて、いい言葉だなぁと滲みている。

ニックネームとか、Twitterの名前とか色々あっても、自分にとっての名前はなんだかんだいって親に貰った名前なのかな。

まだまとまってないから、また書き直そう。

追記

名前はあってもなくても友情やら愛情は成立するけど、かけがえのないものと、まぁありきたりなことを書く。

とはいえ、自分が言いたいことはまだかけていないので、また後日。


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