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企画展に向けて

10月に企画展を控えてる。
個展という括りとはまた別物と思っているのでそう呼んでいるけど「個展をやりたい」その気持ちから動き出した企画だ。

「どうして企画展をやろうと思ったのか?」
今までセルフでやってきたのは、醜いと思ってる自分の姿を他人にさらすのが怖かったから。
セルフだと自分の良い所だけを魅せる事が出来るけれど、撮ってもらうとなるとそうはいかなくなる。
何故なら私は、自分の容姿が嫌いで嫌いでしょうがないからだ。

去年、勇気を振り絞り撮影を依頼してから少しずつ考え方が変わり始めた。
自分と相手の世界や想いを、1つの作品にしてたくさんの人に見てもらう事が
なんて素敵な事なのかと知った。

私が覆い隠したい物こそ唯一無二で
私が忌み嫌ってる物こそ私の最大の武器であるという事も知った。
無理に笑わなくても、世間一般的な美しさや幸せを持ち合わせていなくても
作品の中でなら息が出来る気がした。
自由でいる為にセルフをしていたつもりだったけれど結果的に
他人に撮られるという、ありのままでしかいられない状況が私の考えを変えた。
不思議な話しだよ。

「無名のお前がどうして個展(企画展)など?」
私は企画展をする事で自分が何処まで出来るかを知りたかった。
「知名度もあがったし、ファンも付いてきたから展示会をやろう」では私には意味がなかった。
無名だからやりたかった。
「お客さん来るかな?」
それは、これから展示会の日までの私の努力にかかってる。
どれだけ行動できたか、どれだけ向き合えたか…それに尽きる。
「ゴールは何か、どのような結果になれば正解か」
正直、やると決めた事を出来ればゴールだと思ってる。
たくさんの人に見てもらいたいけど
極端な例え、お客さんが0でもそれは私にとってのゴールだと思ってる。
自分の信頼してる作家さん達と作品を手掛け、自分が好きなギャラリーの空間に展示をする。
作品ができるまでの過程も含め、全てが作品であり、全てが感謝で出来てる大切な時間だ。

だけれど、会場を提供してくれてるギャラリー様に対して利益に繋がる為の「お客さんを呼びたい」という気持ちは勿論あるので
それも含めての活動だと思ってる。

今、難なくこなせる事をこなしても私にはそれではダメな気がしてる。
努力や行動で変わる事を証明しなければ、自身の成長にはならない。
人の心に響く言葉を、表現をもっと私は自分の中に生み出したいから
それはもう努力をするしかない。
いつかじゃない
ちゃんと「この日まで」と決めてから動き出したかった。

ただ、コロナウイルスの終息がまるで見えない現状は予想していた以上に凄まじい物で
タイミングとしては最悪だったかもしれないと思っている。
私だけの問題じゃないから、こんな時に撮影をお願いしていいものかと とても悩む。
幸い、写真家様からのキャンセルは今の所なく
企画を進めている状態ではあるので
本当に本当に感謝ばかりの毎日です。

予定通りの開催ではいるけど
その頃に、世界や私がどうなっているかはさすがに誰にもわからないので
それはその時に決めたいと思ってる。

作品撮りの時間、作家さんとの時間、展示会の為に動いた事は私にとって意味のある事なので
何1つ無駄にはならない。

ただただ今は
(作家さんに無理のない範囲で)良い作品をたくさん作り、たくさんの作家さんから刺激をもらって私は日々成長して行きたいと、生きたいと思っています。
ご協力いただいてる作家さん、応援してくれてる皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいです。

今は何もかもに警戒した毎日を送り、正直 自身の行動にもある程度制限をかけて活動しているので
展示会を決めた当初とは進め方が異なってはいるけれど
こんな状況だからこそ出来る何かを見付けられたら良いなと、少しだけ前向きな事もたまに言っておきます。
読んでくれてありがとう。

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