見出し画像

わからないことはわからないままでいい

 今年になってクレジットカードを使うのに抵抗がなくなった。初夏に突発的に引っ越しを決めて、入用として活用していたのが、そのまま普段使いとしても定着し始めている。
 今まで使わなかったのは使いこなす自信がなかったからだ。その日使った分が未来に引き落とされる、そのときに手持ちのお金が足らなかったらと思うと怖かった。電車に乗るときに網棚にものを載せたくないのと同じ心理だ。どんなに邪魔でも手に持っていたい。お金なら、現金なら怖くない。いくら財布がまんまるに膨らんでも、そのふくらみの分の安心感に頼っていた。

 ただ、僕が怖がっている間に時代が進んでいて、利用した金額や請求額はネットやアプリで即確認できるようになってたし、支払の分割もボタン一つでできるようになっていた。昔からあったのかもしれないけど、昔より導線が明確になっていると感じる。
 それ以前から、特にコロナ禍になってからキャッシュレス決済が一気に広まって、バーコード決済だけは数年前から利用していた。コンビニでチャージしてしようするタイプだったので、感覚としてはプリペイドカードを利用しているのに似ていた。クレジットカードも電子マネーもすっ飛ばしても問題なく利用できた。
 とはいえ、バーコード決済よりははるかにクレジットカードの方が普及している。だから今となっては利用率は逆転しつつある。というか前からクレジットカードで払っていた人はバーコード決済を利用するメリットってないような? そして未だに触れる気すらなれない電子マネーは、さらにわからない。今後も触れない気がする。

 クレジットカードについては他に、暗証番号を憶える自信がなかったというのもある。自信というか、間違える恐れだ。最初に作ったクレジットカードに暗証番号を設定した覚えがなく、利用方法を見ると暗証番号を再設定するには再申請のやり取りを郵送で行わなければならなくて(当時)、めまいがするほど煩わしいと思い放置していた。(後々になって制限付きの特殊なカードで、つまり暗証番号は元々設定していなかったと判明した)
 しかしこれもまた時代が進んでいて、暗証番号不要となる金額上限が定まっていたり、タッチ決済にすれば諸々の手続きがすっ飛ばせるようになったり、諸々のストレスを減らす工夫が今となってはできている。そういう仕組みが煩わしいと思っていたのは僕だけじゃなかったようだ。
 煩わしさを乗り越える人と、それだけの体力がない人がいる。体力のない人を吊り上げるシステムが徐々に増えてきているけれど、そのシステムで間に合う人とそうでない人との差があるし、今後もあり続ける。
 憶えること自体がストレスを伴っている。だからどれだけ頭を使わせないかが焦点になる。わからないことはわからないままでいい。わからないままでもいいものが良いシステムである。「いい」は「信頼できる」とも言い換えができる。クレジットだ。わからないままでも信じられること。そう言われると確かに、なかなか難しいなと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?