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③東京から知床まで カブで行く10日間のバイク一人旅【初日〜パート2】

皆さんこんにちは♪minneやcreemaでハンドメイド作品を販売しているRE(アールイー)です。
今回は【初日〜パート2】を書いていきます。前回からの「初日」の続きとなります。

□この日記は道中に見えた風景やその時の心情を記載したものです。おすすめの観光スポットをご紹介する日記ではなく、臆病者な私が意を決して旅をした道中記です。読んで頂いた方の何かのきっかけになれば幸いです。

※今回の日記は気持ちの浮き沈みが多くあり不快になる場合がございます。その際はそっと読むのをやめることをおすすめします。

・初日からギリギリ
妙なテンションでの走行、事故現場の目撃などで神経が給油する事にまわっていませんでした。気づいた時にはメーターが赤く塗られている部分に差し掛かっていました。乗り慣れている方にはあとどれくらい走れるかイメージできるとは思うのですが、私には未知数です。
近くのガソリンスタンドをナビで確認するためにコンビニに停車。20分程先にガソリンスタンドがある事が分かったのですがまだ安心はできません。とにかくそこへ辿り着かなければ意味がありません。旅の初日だったこともあり、私にとってはハラハラです。しかしそうゆう時に限って引っかかる赤信号。気になるメーター。こんな所を通って本当に大丈夫なのかと不安になるナビの指示。そしてメーターとの睨めっこ。
そんな不安な中を走っていると大きな道路に出てきました。辺りを見渡すとすぐそこにガソリンスタンド。大きな道路に出るための抜け道をナビは指示していたのでしょう。
安心し思わず「あったー!」と独り言を言っていました。ここで念願の給油。ガソリンを入れられる事がこんなにも嬉しいなんて想像もしていませんでした。

・懐かしい香り
茨城県日立市、午前3時過ぎ。給油を終え再び走り出します。ほとんど休憩せず走り続けて約4時間。まだまだ元気はありました。
道路を北上しているうちに、少しずつ空が明るくなってきたのと同時に潮の香りがしてきました。横須賀で育った私にとっては懐かしい香りです。潮の香りと海の見える開けた空間はなんだか安心する風景でした。

福島県はもうそこまで迫っています。

・謎の方程式
出発から6時間程たった頃でしょうか、「いわき市」の標識が見えました。
福島県に突入していました。「福島県に入ったー!」というより「ようやくここまできた…」と表現した方が近いかもしれません。
街並みも朝日で鮮明になり、交通量も少しずつ増えてきました。地元の人たちにとっては1日の始まりですが私にとっては終盤です。疲労がピークを迎えようとしていました。それに重ねる様に眠気も襲ってきます。さらにそれに重ねに重ねて襲ってくるお尻の痛み。長距離ツーリングにお尻の痛みは付きものだとは聞いていましたが、本当に付いてきました。座る場所を前後左右にちょっとズラしてみたり、モゾモゾ動いてその時のベストポジションを探ります。不幸中の幸いだったのが、この痛みが眠気を飛ばしてくれる役目になりました。
疲労→もう少しで到着するという気持ちで乗り切る
眠気→お尻の痛みで飛ばして乗り切る
痛み→ベストポジションで乗り切る
謎の方程式の出来上がりです。

・福島に寄りたかった理由
走っているとふいに「福島原子力発電所入口」と書かれた標識が見えました。
2011年、事故が起きた現場です。
「楢葉町」「富岡町」「大熊町」「浪江町」どこも行った事はないけれど馴染みのある地名でした。
以前、東京電力の賠償金支払いの手続き業務を下請けとして携わっていました。その中で被害に遭われた方と電話でお話する事があり
、リアルな現状を直接耳にしていました。
いつか自分の目で現場を見てみたいと以前より思っていたので今回立ち寄る事にしたのです。

・リアルな現場
原子力発電所入口の標識を見た前後から道路沿いの建物は(恐らく)事故当時のままになって廃墟となっているものがたくさんありました。服屋さんやパチンコ屋など、事故前は人の出入りがあったと思いますが、今は人の気配を感じません。この辺りは立ち入り制限区域などもあり、事故の爪痕が色濃く残る地域だと言う事を目の当たりにしました。
走りながら、当時のニュース映像がフラッシュバックした気がします。

・ついに‥
大きな道路を右折して少し進んだところに今日の目的地の一つである伝承館がありました。「やっと着いた」
到着したのは午前7時ちょっと前。出発してから8時間。ようやく辿り着きました。
運転から解放され、しばらく休憩できる事に喜びを感じました。伝承館は午前9時開館だったので駐車場にバイクを停め、辺りを散策しながら9時まで待つ事に。

伝承館の駐車場


伝承館からの風景


・復興はまだまだこれから
伝承館の展示は、震災当時の状況を細かく記録され、まだ知らなかった事を知る事ができる貴重な時間でした。復興はまだまだこれからです。伝承館の近辺も再開発されまた新しく生まれ変わろうとしています。(他にも色々思うことはありましたが、今回の日記の主旨と少しズレてしまうので割愛します)
震災当時の状況を詳しく知りたい方には是非おすすめです。「東日本大震災・原子力災害伝承館」で検索してみて下さい。

・もう帰りたい
‥伝承館を見終えたのが午前10時過ぎ。眠気と疲労が私のメーターを振り切っています。こんなに疲れて辛い旅が知床まで続くのかと思うと、正直さっさと諦めて帰りたいと思いました。変なタイミングで引き返すよりも、今から戻る方がまだマシだと。
しかしこのままUターンするのもさすがに無理だとも思いました。
「進むも地獄退くも地獄」とはこの事なのでしょうか。
一晩休んでから冷静に考えようと思い、キャンプ場へ向けてバイクを走らせました。

・初めてのソロキャンプ
福島県伊達郡川俣町 お昼12時過ぎ
山の中を1時間ほど走ったところにある「峠の森自然公園キャンプ場」に到着しました。ここは無料で使用できるキャンプ場です。※事前にメールで使用申請を出す必要あり。(当日の急な申請でも許可して頂きました)
天気も良くとても気持ちの良い景色が広がっていました。
少しのんびりしたところで、荷物を降ろしテント設営です。動画で手順を確認しながら設営していったのですがうまく張れません。おまけに通り雨まで降ってきました。
「なんでこんな惨めな気持ちでテントを張らなければいけないんだ。」うまくいかない事に悲しくなっていました。
濡れながらテントを張っている時も早く帰りたい気持ちでいっぱいでした。
やっとの思いでなんとか設営完了し、夕食まで横になる事に。

少し横になった後は気持ちも落ち着いていました。

キャンプ場からの景色


キャンプ場


なんとか設営したテント(隙間がすごい)



午後7時頃、夕飯の支度。
支度と言ってもお湯を沸かすだけ。初のソロキャンプだから、それだけでもなんだかすごく楽しい。そして定番のカレー(インスタント)。カレーが食べたくなるのは昔の記憶のせいでしょうか。お湯をカップへ注ぎ5分待ちます。普段ざっくりしか計らないのですが、この時ばかりはタイマーでしっかり計り、最後は心の中でカウントダウンをしていました。
キャンプって背伸びして料理なんてせずとも、インスタント食だけでも楽しく過ごせるんだなと感じました。とても美味しい夕食だったことは言うまでもありません。
この後は早々に寝る事に。夜中に激しく雨が降ってきて少し不安だったのですが、疲れ切った私は知らないうちに眠りについていました。

お湯を沸かしているだけで楽しい♪




【初日〜パート2】はここまでです。次回2日目に突入します。2日目は岩手県まで進んでいきます。良ければまたご覧になってください。
最後までありがとうございました!次回もお楽しみに。

2023年8月1日記 RE:(アールイー)

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