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二度目のWWE……WMの時期が来るたび思い出すこと

2017年1月。2005年の退団以来、12年ぶりにWWEと再契約を交わした。当時のオレは46歳。アメリカ国籍のレジェンドでもなく、中堅程度の小さな日本人に過ぎなかったオレが再び契約を交わせたことはラッキーの極みというか。HHHやリーガル師匠の強力なプッシュがあったればこそだったのだが。とにかく再びWWEの一員となったことでアメリカに住むべく、日本での身辺をきれいに整理し、家族ともいったん別れ、単身フロリダはオーランドへと向かう機上の人となったのである。

あのとき、日本にはもう帰らないつもりだった。アメリカで、WWEでプロレス人生を終えてそのままアメリカに住もうと、そういう決心だった。その時期を、オレは49歳と設定していた。契約期間の3年間を終えるのが49歳。さらに当時NXTのGMだったリーガル師匠からは「若手のコーチも同時並行でやってください」と伝えられていたので、すでに選手としてではなく指導者としての未来を軸に人生設計を思い描いてもいた。

そして、プロレスをやめたあとはフロリダで小さな日本食屋をやろうと。49歳で引退し、若い子を教えながらプロレスに携わり、元WWEスーパースターが経営する日本食屋のオッサンになる。それが、46歳当時のオレの未来像だった。どうしてそこまで日本を出て海外に住むことにこだわっていたのかというと、これは拙著『プロレス深夜特急』のオランダ篇にも書いているのだが、当時のオレはアメリカで生まれた二人の子供を英語圏で再び育て、生まれ故郷のアメリカでも立派に生きていけるようにしてあげなければならないという強迫観念をなぜか抱いていたからである。そのころ長男は10歳になっていたので、かなりアセッていた。

そのために、まずは1年間の単身赴任で家族を招く基盤を作る。住んだことのないフロリダの土地勘を磨き、WWEで順調に稼ぎ、引退後の人脈作りも着々と進めていく。1年後には家族を呼んで家を買って……そんな計画。なので最初はとりあえず単身赴任期間中の仮の棲家のつもりでコンドミニアムを借りた。場所はWWEパフォーマンスセンター(以下PC)にほど近いボルドウィンという湖畔エリア。NXTに在籍するほとんどの選手がそのエリアに住んでいたし、それはいまも変わらないと聞く。住居探しはもう名前は忘れてしまったが、NXTのプエルトリカンのレフェリーに手伝ってもらった。湖畔のほとり。名称の異なるいくつものコンドミニアムがどこまでも並んでいる。オレが住んだコンドの別棟にはフィン・ベイラー、ホーホー・ルン、ジョニー・ガルガノにトマソ・チャンパらも住んでいた。そして、本題に突入する。

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