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5年前に書いた『さようなら、青木篤志』

本日。6月3日は、故・青木篤志選手の命日である。彼が亡くなった翌日の2019年6月4日。そのときの気持ちを、オレはプロレス格闘技DXの連載に書いている。命日のきょう、故人を偲び、ここにそのまま転載させていただく。(※連載文の二次使用は本人に委ねられています)


『さようなら、青木篤志』

最後に会った、二日前までは、普通に生きていたのに

世の中って、なにが起こるか本当にわからないんだな

最後に交わした会話

神戸サンボーホール

試合前のリングサイド

いつも持ち歩いていた銀色の大きな水筒

「青木さん、それなに入れてるんですか?」

「アミノ酸ですよ」

「ミルクかと思ってました、パトラッシュが運んでるやつ」

「ときどきコーヒーは入れてますけどね」

その二日後

岩本選手とヨシタツ選手から、ほぼ同時に連絡が来て知った

すぐさま、佐藤光留選手から電話があった

彼が主宰する土曜日のハードヒット

オレと青木さんは戦うことになっていたのだ

青木さんの代わりに…おそらく誰々が入りますから…と

嗚咽を必死に抑え込み、なんとか言葉を発しているようだった

「そんなのいまじゃなくてもいいんですよ!」

そう言うと

「うぅ…」

と聞こえた

仕事の話をして、なんとか自我を保とうとしているのかもしれないと思った

世の中って、なにが起こるか本当にわからないんだな

そんな気配は微塵もなく

ある日、忽然といなくなってしまう

世の中って、なにが起こるか本当にわからないんだな

そういえば神戸での試合後

青木さんは控室で

世界Jrのベルトを磨いていた

試合後に自らベルトを磨いているレスラーなんて、オレはこれまで一人として見たことがない

愛してやまなかった世界Jrのベルトを持ったまま

天国へ旅立ってしまった

世の中って、なにが起こるか本当にわからないんだな

彼と共有したシーンが次々脳裏へ浮かぶばかりで

いまはまだ

言葉が出ない

さようなら、青木篤志

ー2019年6月4日筆ー


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