なにもない

「なにもない」がある。
「機会喪失」は表裏一体。

なにもないところになにかを作るのは簡単。
なんでもあるところをなにもなくするのは困難。
なにもないからこそできることを見逃して
他所と変わらない景色を作ってしまったら
それこそなんの価値もない。

カミーノ デ サンティアゴの旅で
一番面白かったのは
廃村かと思うような田舎の風景。
そこでもちゃんと旅人を迎えてくれて
カフェコンレチェを出してくれる。
ここで暮らしている人々がいる、というのは
ありがたいことだった。
終着の立派な街の石畳も感慨深かった。
バルセロナやマドリードは
日本でもよく見かける大手企業の看板がちらついて
正直興醒めであった。

「そこにしかないもの」に惹かれて
離島や山奥へ行く人々がいる。
豪奢なものはいずれ見飽きるが
そこにしかない人や風景には
また訪れたいと思わせる活力がある。
「なにもない」と言う地元民の「なに」は
大手チェーン店や大型複合施設のことをさすのだろうけれど
それはあくまでも消耗品だ。
「なにもない」は資源である。
一目でわかる派手な商業施設がある田舎に
また訪れたいと思わせる魅力が感じられるかどうか。
個人差はあるだろうが少なくとも私は感じない。


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