2024.1/1〜1/7

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2023年にやり残したことや、後悔などは全て大晦日に置いていくと意気込んで寝たものの、うわ、これは昨日飲みすぎたな、全身だるい、というような感覚を起きてから感じ、ああ、別にいつも通り1日過ぎただけで何も大きく変わることなんてないのかもなあ、なんてことを考えながら起床。
朝からお節やら雑煮やらを食べ、かなりのロングドライブで帰省。
実家でも懲りずに雑煮やらを詰め込んだ

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前日に溜め込んだ様々な食材を胃袋に抱えたまま起床。新年早々、体の酷使は否めないが、性懲りも無く雑煮をまた食う。午後からは親戚の家に行き100に近い曽祖母の手を握り、そこでも懲りずに雑煮を食べた。1年分の雑煮を今摂取しなければ、今後一切食べれなくなる呪いにかかったかのように、食う。
夕方には帰路につき、一服してから地元の仲間たちと新年会。あれやこれやの昔話や近況報告に花が咲き、気づけば夜中の3時になっていた。今年1番の後悔とかなり強めのアルコールの匂いを残し、帰宅。

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親族一同に大粗相をつつかれ、思わず肩をすくめながら起床。もうこの後悔が今年1番だと思いたい。これ以上のことはないことを祈る。胃から本来腸へ送り込まれるものが全て口から出てくる現象で、もう金輪際お酒を飲んでやるもんかと決め込むが、夜のすき焼きではまあビール一本ぐらいのんでやっでいいかなどと考えているのだから、酒飲みの思考回路は理解できない。ちなみに親族で行った初詣のおみくじには「悪いところを改善しなければ大凶になる」とさらっと書いてあった。カラッと乾いた風に、おれのゲップがふわりと流れていった。

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長らくお世話になった知人というべきか、もう親族と呼ぶべきか、とにかく大好きだったおじいちゃんの訃報を聞く。どれだけ愛されていても、才能があっても、人はいずれ朽ち果てていく。
おれは愛の数より、愛の量が、その人が生きた証だと思う。たった1人でも、深い愛をもって、寂しさを感じてくれる人がいるのであれば、生き抜いたと言うことに違いないと思う。

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父親が、誰かと楽しそうに話している姿は、どこか切なくて、でもその瞬間だけはあの頃に戻って、さあどこかで何かおっ始めようぜ、とイキリ上がる若者のようなオーラをまとっていた。寂しかった。
息子は2歳になった。本当にはやい。いろいろなことが起きる。その全てが息子の一部となっていく。

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商業施設というものは、経営母体などによって様々な運営の困難さがあるんだなと考えさせられる1日だった。大好きなブロックのおもちゃも、今やこども向けというよりかは、あの頃遊んでいた子供がおとなになり、その大人に、さあ買わんかいなと囁くような商売に感じる。しかし、子ども心というのか、大人心というのか、そういうものをやけにくすぐるものが多く、まあ子どもが遊ぶから!などと理由をつけ購入してしまう。うまく乗せられている感は否めないが、それでも良いと感じる。息子は歩き回り、大人はへとへとになった。バースデーフォトは、予約が必要で撮れなかった。また行く理由ができた。

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