ずっとそこにあったもの

私が生まれ育ったところは、かつて商店街で賑わっていたらしい。
それは父が子どものころのこと。
私が幼いころはお店の数もまばらで、そのほとんどがおじいちゃんやおばあちゃんが商いをする店だった。
商店街だったということで、生活するには便利な場所だった。
歩いて行ける範囲に八百屋、小さなスーパー、駄菓子屋、たばこ屋、米屋、文房具屋、本屋、床屋、市役所、公民館、保育所、小学校、図書館・・・
中学になるとコンビニもできた。
都会に憧れて大学では関西に出たが、不自由なく暮らせる地元が好きで卒業後は地元に帰った。勤務先の関係でいまは県内の離れたところで暮らしているが、頻繁に帰っている。

大学を卒業して社会人1年目のときは、実家から電車で通勤していた。
田舎の電車は1時間に1本。夜が遅い職場だったから、朝も比較的時間があった。
駅まで自転車で向かうときに八百屋の前を通ると、そこのおじいさんと会った。
すごく久しぶりに会っても、私の名前を覚えてくれていた。
「え!もう働く年になったの?はやいねえ〜」と話した。
それから毎朝「おはよう!」と声をかけてくれた。
おじいさんがトラックで配達している途中ですれ違っても、窓から「おはよう!」と必ず毎日声をかけてくれた。
私の家族は先に家を出発していることが多く、私にとって1日の会話の始まりは八百屋のおじいさんだった。

ある日。おじいさんが店にいなかった。トラックもあるのに。
こんな日もあるのかなと思って仕事へ。帰宅すると両親からおじいさんが倒れたと聞いた。
毎朝元気にあいさつをしてくれるおじいさん。
信じられなかった。
次の日からは、おばあさんに会うことが増え「気をつけてね」って声をかけてくれるようになった。
数日後、おじいさんは亡くなった。
おじいさんと息子さんと2台あったトラックも、おじいさんのぶんが駐車場から姿を消した。
当たり前だったおじいさん、見慣れた光景のトラック。
空いた空間が違和感で、見るのか辛かった。

数年後、八百屋が店を閉めた。
おばあさんと息子さん家族も、その場所からいなくなった。
残ったのは、魂の抜けた大きな箱だった。
土曜日はアイスが3割引だから、兄弟や友達と買いに行ったこと。
家で母親の姿が見えなくて不安で探しに行ったこと。
「帳面」に買ったものをメモして、月末に支払いに行く信頼関係のある店。
我が家の生活に欠かせない八百屋だった。

去年くらいに、その八百屋を近所の人が買い取った。
少し前から解体が始まった。
そして昨日実家に帰ると、八百屋が跡形もなく姿を消していた。
広い、広過ぎる更地になっていた。

景色が変わった。
生まれ育った場所が、知らないところのように感じる。
30年間当たり前にあったものが、一瞬で消えた。
今日からはこの景色を見ながら、近所に住む幼子たちは過ごしていく。
時代は進む。
私も受け入れて、でも、ここに八百屋があったこと、やさしいおじいさんがいたことを忘れずに生きたい。

そして、改めて地元が好きだということが再確認できた。
八百屋さん、おじいさん、ありがとう。

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