信仰をもってみると世界に絶望してしまいますがそんな時はどうすればいいのでしょうか?

世界をみると余りにも
ひどい状態で愕然と
することが多いです

その絶望の中で
立っていられないほどに
なることもあるかと
そう思います

そしてどうすればいいのか
そう思ったとき一体何を
するのでしょうか

どうすればいいのでしょうか?


犠牲ばかり強いられる中で心が砕けてしまうこともあるかと思います


私たちは程度や次元の差は
あるかもしれませんが世界の
救いのために信仰を持って
様々な苦悩にも耐えて
歩んでいることと思います

それぞれに自分が知りえた教義の
元で正義が何かと思い
信仰を全うしようとするのですが
一向に世界が変わりません

そればかりか悪くなるばかりです
その中で絶望を抱いたり
そもそも私や私の周りだけでも
救えたらと思うように
なってしまったり
時には信仰も失ってしまう
お休みしてしまう場合もあるか
そう思います

キリスト教は見返りがないという特徴がある宗教


キリスト教は他の宗教とは違い
ご利益がかえってこない宗教です
突き詰めていくと世界のために
犠牲になる宗教です

アメリカは世界警察といって
権力をかさにしているように
思えますが別に自分たちの国だけを
守り豊にするためなら

他国に干渉して人権を守る必要もなく
そのために軍隊の若い兵士を犠牲にする
必要などないのです

正義のために見返りがこない
そういう宗教としての特徴が
キリスト教にはあります

だからいくら頑張っても世界が
変わらないのになぜこんなことを
なるのかと思うようになっても
それは仕方ないのかもしれません

利益が返ってくる宗教なら
そう思うことは少ないでしょう

しかしそういうときこそ
実は私たちは矛先を
向け直す転換期なのでしょう

信仰者も実は放蕩息子であり戻るべきところを知らないでいる


実は何かが間違っていたので
正義と思っていても
うまくいかなかったのです

最終的にはその場合
原点である父の元に帰る
それしかないのです

放蕩息子は父のもとに
帰ることを最終的には
選びました

信仰に頑張っていたとしても
実際常に神様と
繋がっているのでしょうか

旧約の預言者は神と
対話していました
その次元までいっていないのが
現状だとすれば

私たちの信仰も不完全です
私たちも実は放蕩息子で
あることに変わりはないのです

今何をしていても
常に戻るところ
それが父のところです

そして宗派によって教義や
模範とすべきことは違うところが
あるかもしれませんが

一つだけ共通していてそして
放蕩息子的に父の元に戻るのは

真摯にささげる祈りでしかない
そう思うのです

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