なまえをつける

名前を覚えるのが苦手だという自覚がある。


すべての認識するものに対して、あまり現実感がない。「工業的生産物」しかない部屋とオフィスと街の往復では、それ自体が機能を持ちすぎているので、こちらからの働きかけは必要ない。そうした怠慢に、慣れきってしまっているように思う。スライムが毎朝壁の蛇口から出てきて気まぐれで形が変わるとか、突然変異が日夜ペースで進んで日替わりで違う花が咲いているとか、そのくらいだと驚きがあるかもしれない。

まあそれでも、花には目もくれず通り過ぎてしまうかもしれないな。そこまでさせるのは申し訳ない。

今朝、自転車に乗っていたら、右目に鳥(と思われる鳴き声をあげたなにか)がぶつかった。鳥がどうなったか追えなかったけど、本当に突然で、少しそのことについて考えた。「石だったら失明してたな」とか、「ぶつかるときは本当に突然現れるのだな」とか。


しかし、名前を憶えていないと、実生活で困ることも多い。
大きく困ることはないが、覚えていた方が少しだけ物事がうまく運んだな、と思うことがある。

プライベートだと、妻がお世話になっている会社の人の名前、妻が好きなアーティストの名前、自分が過去に食べた料理の名前、などなど。

仕事だと、(何十社も付き合いがあるのでいちいち覚えてられないが)、支援先の担当者の名前(いつもオンライン会議に出席だけしていて会議室の奥に小さく映っている程度も含む)など。

ただ、人の名前を覚えるのが苦手とは、なかなか大っぴらには言えない。なぜなら、名前を覚えるということは、敬意と労力が必要だからだ。それをみすみす放棄するという態度を、わざわざ宣伝する必要もないと思う。

だけど、本当に苦手だ。なぜなら、名前はほとんどの場合付けられることの方が多いから。単なる識別子であることが多いから。

とりあえずの対応策として、名前を付けた側の人の想いと、彼/彼女ばあいによってはモノが持っている「呼ばれる名」への後天的な愛着へ、敬意持つようにしようかなと思う。とりあえず。

その証拠に、友達が彼女からつけられている、もはや原形をとどめていないような呼び名を聞くのは大好き。

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