2024/7/9

スピノザ「エチカ」@100分de名著


・人間は自分の欲望の「結果」しか意識できない。
・我々は、意志が一元的に行為を決定していると思いがち。意志の自由を謳うが本当にそうか?

自由とは?

自己の本性の必然性によってのみ存在し、自己自身のみによって行動に決定されるものは自由であると言われる。これに反して、ある一定の様式において存在し、作用するように他から決定されるものは必然的である、あるいはむしろ強制されていると言える。

自殺とは?

自殺する人々は無力な精神の持ち主であって、自己の本性と矛盾する外部の諸原因にまったく征服されるものである。

受動と能動
・受動=行為が外部の原因、自分以外の力を表現
・能動=行為がその人の力を十分に表現している

e.g. カツアゲは、自分自身でそれを手渡したにせよ、スピノザ的にはそれは受動である。

現代は「意志」への過信がある。あなたが自由意志で選んだんです、だからあなたの責任です、というロジックで責め立てることが容易に可能。

真の観念を有するものは、同時に、自分が真の観念を有することを知り、かつそのことの心理を疑うことができない。
実に、光が光自身と闇とを顕わすように、真理は心理自身と虚偽との規範である。

真理の基準を真理の外側にたてられない。真理自身が真理の基準にならなければならない。
すると、スピノザの真理は正しさを検証することができない。
(=OSが違う e.g. 他者を説得可能…デカルトの真理)
近代は、デカルトを採用した。

「デカルト的契機」…17世紀以前は、真理とは自分自身が変化することによって体験的に真理を得る。しかし、デカルト以降、真理は与えられるものになった。by ミシェル・フーコー

e.g. 小津安二郎の映画の素晴らしさを理解したのは40代。自転車はいくら本で読んでも漕げるようにはならない。
なんだかわからないけれどもできてしまう回がある。

人生において何より有益なのは知性ないし理性をできる限り完成させることであり、この点において人間の最高の幸福、すなわち至福はある。

人間にとって、人間ほど有益なものはない。

理性に導かれる人間は、恐怖によって服従に導かれることがない。
むしろ彼は、理性の指図に従って自己の有を維持しようと努める限りにおいて、言い換えれば、自由に生活しようと努める限りにおいて、共同の生活及び共同の利益を考慮し、国家の共同の決定に従って生活することを欲するのである。

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