仕事④〜理不尽から得るもの〜

2017年9月。部署にまた1人新入社員が配属された。これで僕と2つ下の後輩と彼。一時期は若手1人だった昭和の営業部隊も若返ってきた。彼らの教育担当として僕ができたことは限られているが、2人とも優秀だった。もちろん若さ故に脆さや荒削りな部分もある。でも自分もそうだったのだ。やはり人間は誰かに教えようとする時に自然と振り返りができる。後輩から学ぶこともあり自己成長にもなったわけだ。

50代の年配社員達ももうこの頃になるとさすがに若者に慣れたようで入社当初のまるで父親と思春期の息子のような何とも言えない照れ臭さとかギクシャク感というのはなくなっていた。このような空気の変化はひとえに年長側の寄り添う姿勢による部分が大きい。錆びた歯車への潤滑油投入の活性化方法は少々大胆で失敗も経たが、はじめて効果性を感じた。

ただ順応できるかというのも結局、最後は人による。環境変化にうまく順応できる人とできない人の差。いわゆる柔軟性に欠ける社員は一定数いると思っている。時代が変化しても相変わらず年功序列ルールやハラスメントまがいの圧力をかけてくる柔軟さと向上心が欠如した人間。こういう人はどんな組織にもいることだろう。実際に僕もそういう人に出会って、無駄に時間を費やしてしまった経験がある。

ただ今になって分かるが僕の仕事のモチベーションは憎しみの感情だ。少し仕事とは離れるが、人生の奮起もやはり負の感情だ。好きな女の子にフラれた劣等感やコンプレックスの数々が僕を突き動かしている。僕は繊細で気にしすぎるところがある。誰かにちょっと嫌なことを言われたり、されたりするとそういうのはずっと嫌なこととして覚えている。数日間、傷付いた後、悔しさが込み上げてくる。そして数日経つと「よし、いつかあいつを殺そう」というのがモチベーションとなる。嫌なことが原動力になっている。

殺すというのは比喩でいつかあいつを見返してやろう、ということだ。入社してからいくつかそんなことがあった。社内の関係部署からの「若いけど大丈夫?」の言葉。僕が送ったメールを僕の上司にわざわざ返信する奴もいる。挨拶したら「あー君か。少しはまともな仕事できるようなった?」とか酔った勢いで胸ぐら掴まれたりとか「私たち新入社員の頃はねー、5年間は何もさせてもらえなかったからね」とか言ってくる奴もいる。僕は面では「はい!」と言いながら内心では「あ、こいつ殺そう」と思っていた。

私たち新入社員の頃はねー、というのは30代前半の社員から言われ、自分達もやられてきたことを受け継ぐまるで中学の部活のような風潮には失望した。でもだいたいこうゆうことを言う人は大した存在ではない。実際いつか見返そうと思っていた方の大半はすでに辞めたり、ハラスメントで懲戒を受けたりしている。その度に僕がシナリオに描いていた最高の復讐をする機会を逸し、肩透かしを喰らう。

ハラスメントを受け、自分の時間を無駄にしている人が世の中にはたくさんいる。どうかあなたの才能を信じてそれに屈しないでほしい。それを罰せない企業側も悪い。よくパワハラやセクハラの常習犯が、この人いないとこの仕事回らないよね、という理由で黙認されてる組織もある。それはおかしい。だったらそんな仕事も部署もなくていい、と思う。いくら利益が出てようが正しくないことを放任することは罪だ。正しさの上で利益が出せないならそんな部署なくてもいい。

こうした風潮は本当に企業の生産性を悪くするし、なにより職場環境を劣悪にする。企業は人を育て、幸福実現をする場であるべきだ。だからこうした負の遺産を根絶したいと願った。でも変えるためにはどうするべきかも知っている。やはり自分に立場=信用が必要だ。発言権を得て環境を変えるというのが僕が出した答えだ。そのためには出世も大事にしている。

いまだに「いつまで独身や。早く結婚して所帯を持たないとね」と言ってくる人もいる。反感をかうこと覚悟であえて言うが、内心はこう思っている。夫として父として家族を養うのは確かにすごい。それによって精神的支柱と成長を得られるのだとも思う。ただ世の中のほとんどの男性も女性もそれをやっている。大それた個性でも肩書きでもない。家族のため、というのは聞こえはいいが、ある意味視野が狭いとも思う。それがいつからか呪縛のようになり社会の奴隷になる人もいる。

僕は嫁や子供がいなくても関わる社員とその家族、ひいては会社すべてを守る覚悟で仕事をしている。決して自己利益のためだけではないのだ。こうゆうのは個人のマインドセットの問題で結婚したら、子育てしたら、変わるよ、って思うのは誤りだと思うのだ。

ハラスメントもだんだん摘発される世の中ではあるが、人生において嫌なことというのは必要だと思う。そしてそうした理不尽も仕事でしか経験できないと思っている。面倒なことにあえて向き合い、解決する。そういう経験を通して器量は磨かれるとも思うのだ。悔しさや憎しみを正のパワーに転換できればこれほど奮起材料になるものはない。友達と違って働く人は選択できない。だがこれまで出会った人を無駄とは思わない。むしろ全員に感謝したい。あの日殺したいと思った感情が今日までの自分を突き動かしているんだから。

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